映画を観るということがとても個人的な体験だと思うのは、恋愛映画や親子の情を描いた映画に過剰に感情移入してしまったりするときだ。

メロドラマのような恋愛映画だったとしても、それが個人的に経験したことのある恋愛と重なる部分があれば、自分の記憶と照らし合わせて追体験してしまって、もうホントにボロ泣きしたりする。

一方で、全く自分とかけ離れたキャラクターや人生を疑似体験できるのも、映画ならではなのだとひしと思う。


アル中の母親が野垂れ死んでから、未成年二人だけで車の旅を続けている、ローとマニーの姉妹。当然お金も無いし、住む所も無いから、食糧やガソリンを盗み、住宅展示場にこっそり侵入してその日の宿にしたりしてその日暮らしを続けている。

そんな二人の流れ者のような生活は、現実の自分とはおよそかけ離れている訳なんだけど、彼女たちの自由な「のら猫」みたいな生活に、なぜかひどく共感と憧れを抱いてしまった。

そんな事をローに言ったら、好きでこんな生活してる訳じゃないんだと、鼻で笑われてしまうだろうと思いながらも、彼女たちの綱渡りのような毎日を、夢中になって画面で追っかけていた。


途中で意図しない妊娠に気がついて「shit!」と叫ぶロー。赤ん坊なんて産んでしまっても当然育てられる生活なんかじゃない。偽名を使って病院に行き、中絶しようとするけれども、もうお腹が大きくなりすぎてそれもかなわない。

結局ローは、とりあえず赤ん坊を産むために適当な空き別荘を物色し、さらにはベビー用品店の知識豊かな中年店員を誘拐して出産を手伝わせようとする。
この思いつきも、未成年ならではの無謀で無茶な計画でしかないのだけど、もう他に取る方法がなく追い詰められているのも伝わってくるから、画面のこちらでハラハラしながら見守るしかなくて。

誘拐された女性も、当然のごとく脱走しようとあの手この手を使うのだけど、一旦ローの妊娠に気がつくと、赤ん坊には罪がないから、と出産に向けて協力し始めるのだけど。


もうなんというか、ローが他人や大人を疑って生きている様が、手負いののら猫のようで、いたたまれなくていたたまれなくて、手を差しのべてしまいたくなって仕方がなかった。
邦題の「のら猫の日記」とはうまくつけたものだなあ、と思わず感心したりして。

そんな彼女が、無事に産み落とした赤ん坊を抱き、それまでのまるで「のら猫」のようだった表情が緩んだ瞬間、思いっきり感情が揺さぶられて泣いてしまった…。

ずっと世間や大人に背を向け、必死にそれらを否定して生きようとしていた彼女が、本当に欲していた心落ち着ける場所がそこにあったんだな…と。


妹マニー役のスカーレット・ヨハンソンが、子役としての存在感をアピールしている作品として知られているらしいのだけど、個人的にはあまり知られていないロー役のアレクサ・パラディノにグッときてしまった。そして誘拐される中年女性役のメアリー・ケイ・プレス、そして何よりもこのリサ・クルーガー監督の作品をもっと観てみたいと思わせる作品だった。