世の中色んな事が変わって行きますよね、昔当たり前だった事が今でもそうだとは限りません☆



私が子供の頃の「先生」は絶対的な「正しさ」を持っていて、例え子供心に理不尽だと感じる事があってもそれを言えませんでした。



生徒の行儀や言葉遣いにも厳しかった。



今では「体罰」と言われるような先生の指導も当たり前に行われていたし😅



あ、何か学校についてばかり書いてしまったけど、私が最近気になるのは言葉の使い方なんです💡



最初は違和感のあった「ら抜き言葉」はずいぶん慣れて、今はそっちのほうが分かりやすいかなと「見れる」とか「来れる」は使う事があります。



らを抜かない「見られる」「来られる」にすると尊敬語っぽく聞こえますしね。まぁ、前後の文脈から分かるとは思うけど🤔



で、ら抜き言葉はそれなりに慣れたんですけど、どうにも違和感があるのが「優しそう」を「優しいそう」、「嬉しそう」を「嬉しいそう」と書く事💦



なぜ「い」を付けるのか🤔



これ、若い世代の方がSNSのコメントで書いているのが目に留まるんです。



これって、口語でも「やさしいそう」って言ってるのかな?



これも文脈で判断出来るかもしれないけど、単独で見ると、何か誰かを「優しいみたい」と言ってるような。



どうもこれは受け入れられないかも😅



今度、姪っ子達に会ったら聞いてみよ💡