以前にも何度か書いた事です。

 

随分前のことですが

腋の下にしこりができました。

丁度実家に帰っていた時だったので

不安だったわたしは母に相談しました。

 

もしも悪い物だったらどうしよう。

何日か眠れぬ夜を過ごし、意を決しての

相談でした。

 

母はそんなの大丈夫と一笑に付しました。

そして凹んでいるわたしに大袈裟だとか

罵るだけで少しも寄り添わず

「それより」と自分の愚痴をぶつけられ

結局、いたたまれず家に帰ったら

しこりはすっと消えてしまって。

 

 

時々、もしあの時に本当にわたしが病気だったら

あの母はどうしたのだろうと考えます。

 

例え病気でもきっと平然としていたんだろうか?

 

もしもあの時、と思う事はいくつもあって

ホテルのプールに投げ込まれ

プールに置かれていた救命用だったのか

ゴミを取るためのものだったのか

なにか長い棒状のもので

プールサイドに向かおうとするわたしを阻止して

毒弟と2人で笑っていた母。

 

あの時、溺れていたら?

 

のれんを掛ける金属棒の安全キャップが外れた状態で

わたしの顔面を攻撃した時、目尻じゃなくて

眼球を傷つけていたら?

(その傷は今でも目尻に残っています)

 

いろいろ想像するたびに一つの結論に至ります。

 

「あんたが○○だったからしょうがない」

 

死んでしまっていたら、きっと「あの子は

○○だったから仕方なかった」

 

我が子が怪我したり病気になるたびに

代わってあげたいと思い病院に走るわたしには

あの母親の気持ちが一向に理解できません。

 

そのくせ、自分は寄り添ってもらえないと気が済まない。

 

まだ足りない、もっともっと、と強欲に。

 

 

あのしこりの時、怯えるわたしに

うちの家系にガンはいないとか、父方の家系は

わからないとか、大袈裟だとか思いやりなんて

微塵もない言葉を吐き出し

そして病院に行くのを阻止した母。

 

2回目に同じような事があった時には

友人経由で看護師をしていた彼女のお母さんに伝わり

すぐにその病院で検査をしてもらえました。

友人のお母さんはずっとわたしに

付き添ってくれました。

 

他人なのに。

本当に感謝しています。

 

 

友人のお母さんが風邪をひいたと聞くと

大丈夫かと心配になりますが

毒母の髪が抜けて治療が大変らしいと聞いても

気の毒にとは思いますが、どこか他人事です。

 

そしてお見舞いにも行きませんし

電話もしません。

 

そんな自分をわたしは受け入れて

罪の意識を感じなくてもいいんだよと

自分で自分に言い聞かせます。