warasa11のブログ
あるものの本に「この世において、どんな人にも成し遂げられないものが五つある、一つには、老い行く身でありながら、老いないという事。二つには病む身でありながら、病まないという事。三つには、死すべき身でありながら、死なないこと。四つには、滅ぶべきものでありながら、滅びないという事。五つには、尽きるべきものでありながら、尽きないという事。」だそうだ。避けがたいことを避けようと努力する。然し世の中は努力しても避けられないものがある。良く人は「ぴんころ」がいいという。この「ぴんころ」とは何なのだろう。元気なうちにあっさり死にたいということなのか。そんな死に方のどこがいいのか、本人はそれで満足だろうが果たして、残された人はそれでいいのだろうか。すべてそれには条件があるのだろう。ある日元気だった人が突然何も言わずに亡くなったら周りの人はどのような思いになるだろうか。喧嘩別れして謝ろうと思ったが、その相手はいなくなってしまった。何も手立てもできずに、帰らぬ人になってしまった。警察から一本の電話で事故を知らせられた。これらも考え方では「ぴんころ」だろう。そんな別れ方があってはならない。私の家内がわずか数分で帰らぬ人になった。ついさっきまで元気だったのに。冷たくなっていく体をこすっても、こすっても冷えていく。柔かかったからだがもんでも、揉んでも少しづつ固くなっていく。自分の手のひらからどんどん逃げていく。何もしてあげられない悔しさ、何も聞き出せない心の葛藤自分の体が小刻みに震えても、止められない悔しさ、これも一種の「ぴんころ」だろう。時間がたち顧みて、「あの時喧嘩をしなければ」「あの時何故優しくしてあげなかったのだろう」「あの時もう少しほめてあげていたら」と後悔の念があとからあとから、流れ落ちる涙と一緒にほほを伝い、心臓が早鐘のように打ち続け立ち尽くすからだが崩れ落ちそうになっても自分の心はそこにない。「ぴんころ」嫌な言葉だ。夢の中で女房の胸に顔をうずめ幸せそうな自分がそこにいる。一緒に暮らしていてよかったのか、結婚生活は幸せだったのか。そこで問うても答えは返ってこない、唯やさしく微笑んでいる女房がいるだけ。「ぴんころ」くそくらえ。何が「ぴんころ」だ。そんなものは自分自身のご都合主義だ。何年たっても後悔や悔いが残る。心の中には一度でいいから聞きたい言葉「幸せでした」と言う言葉。これもご都合主義。自分の思い上がり。観音様に聞きました。すると観音様の代わりにお坊さんが「すべて生きとし生けるものは無明から始まる。迷いの根本すなわち、無知、その心理が愚痴である」そう私は私自身に「愚痴」を言っていたのである。愚痴を言いながら今まで生きてきた。柔らかな胸に顔をうずめている妄想とともに。合掌。

