【女児殺人】

あまり書きたくないですが、書きます。

『子供の喧嘩もここまで来たか』
最初の印象はこうでした。
昔は昔はと、あまり言いたくないですが、喧嘩と言えば素手の勝負で、タイマンが通例でした。
これが当たり前で、凶器を持つのは弱い者、恥ずかしい事。
はっきり言ってしまえばかちゃあいいんだよな。ほんとは。
でもなぜかみんなそれを守っていた。
なんだかんだ言ってみんな周りを、世間を気にしていたんだよな。

今は、インターネットという名の嫌がらせがあるため、世間の目を気にしなくなってきたんだと思う。言わば、匿名の批判ということか。
かくいう私も今この場では匿名の批判者ではあるが・・・。
インターネットでは自分を特定できる物は一切無い。ハンドルネームさえ変えればいくらでも自分を生み出せるのである。そんな世界が子供にとってどういう意味をなすのかその答えを見たような感じである。
ネットで自殺志願者を募り、見知らぬ同士が死を共にする。こんな悲しい死を平気でこなせる時代が来たんだから、ネットで喧嘩になってしかもその相手を知っているのであればああいう事件が起こっても叱るべきだろう。
そうも考える。

ネットのよさは相手を特定できないところにあると私は考えている。
そうする事によって自分の内に秘めている事や友人知人、家族には言えない事も軽いノリで暗くならずに相談できたりする。それはストレス解消にもなるのである。
だが、そのネットがストレスになり逃げ場をなくした小鹿は高い山からまっさかさまに飛び降りるのである。
ネットには法も秩序も無い。(厳密に言えばあるが)
ただ、不特定多数の目に触れるという事実があるだけだ。
そこに裸で放置されたらどうだろうか?
そう考えたら、俺はとてもじゃないがネットに頼る気にならない。
あくまでも架空の世界で。
ネットに繋いでる間は、笑いの影という人物を演じているだけ。
接続を切ってしまえば、現実の世界に戻って生活をする。
じゃあなぜネットをしているか?
ストレス解消でしかないのである。
自分のサイトに一時期のことを書いてるある日記が放置されている。
当然その時は本気で書いてた。
でも、書き終わったらスッとした気持ちと共に、嫌な気持ちは薄れていた。
当然私自身もそれを期待していたのだが。
これが普通なんじゃないだろうか。
この事件の女児の日記には
『うぜーつーかほんとうぜークラス』
クラスが嫌だという気持ちが書いてあったという。
これはほんとの気持ちなんだと思う。
俺もうざい同僚だと思っていたし、その事も書いた。
でも、誰にもいえない気持ちを笑いの影によって表現しただけで、それで気持ちを維持していたんだよな。
ほんまは本人に直接言いたかったり、殴りかかりたかったり、なんだったら刺したりしたかった。
でも俺には出来ねぇ。
人間だから。
俺にも家族がいる。
友人も仲間もいる。
相手にだっているんだから、ウザイからとか悪口を言われたからとかそれらを=殺す、には絶対ならない。
こんな駄文では全然気持ちは伝わっていないだろうけど、それも含めて書いている。
まだもう少し書かしてもらうとしよう。

この加害者児女が全面的に悪い。
これは変えられない事実であり、世論、関係者も認めざるを得ない事だろう。
俺はこれに付け加えて、親も悪いと言いたい。
『親はかんけぇねえだろう』
そういう奴も中にはいるだろう。
それでも俺は声高らかに言う。
『親が悪い』
これはもう親の教育以外の何物でもない。
社会に関わる以前に教えるべきことである。
人を殺めることはよくないことだ。
こんな事は、何よりも最初に叩き込む物だ。
いくら勉強が出来ようとも、いくら絵の才能があろうとも、そんな事の才能を伸ばすよりも先に人間としての最低限の摂理をたたっこむほうがよっぽど先だろう。
それをわかっちゃいねぇ。

『子供を殴れない親は死んだほうがまし』
俺はそう思う。
『教育に暴力は要らない』
そんな甘い事を言ってるから、道理も何もなくなるんだ。
言ってわかるような子供は二度と同じ事をしない。
言ってわからんから殴るんじゃ。
それくらいの事がわからんか?
おう?世の中のクソ親共。
体罰?
先生がそんなことするくらいのことしとんのや。
そら、おまえんとこのクソ餓鬼が悪いんやろ。
そう考えれんか?
『うちの子はそんな事しません』
警察や先生に呼ばれてきた親が最初に言う言葉。
意味わからん。
なんで呼ばれてるかわかるか?
なんかやったからにきまっとるがな。
昔はこうやった。
『おまえまたなんかやらかしたんか!』
ええことで呼ばれてんのにこんな事言うんやで。
おもろい親やがな。
「他人に迷惑をかけるな』
昔の親が口酸っぱく言った言葉がこれや。
今の親にはわからんやろ?この意味が。
よう考えて子供を産めよ。
よう考えて育てろよ。
子供は嘘つかんからな。
おまえらの育て方がその結果や。
責任はおまえらにもあるんやで。

少し書き方が荒くなってしまったが、本当の気持ちはこんな感じである。
言い方が悪くなったことはお詫びします。
でも、今の親はあまりにも子供を道具にしすぎなんじゃないかという気持ちと、世間に送り出すんだという責任感がなさすぎるのであえて苦言を呈したのである。
少し事件とかけ離れてしまったので話を戻す事にしよう。
被害者の児女に落ち度が無かったのだろうか?
それはわかりません。
責任逃れのようですが、今、垂れ流されてる情報では被害者児女の人物像が浮かんできません。でも全く無かったという風には捉えられませんが。
でも、落ち度があったとしても、子供の喧嘩でここまで発展するとは思えません。
これは加害者児女の問題で、被害者児女を責めても解決にはなりません。
自分が小学生の頃、たぶんこういうことはあったと思います。
いじめや嫌がらせ。
でも、みんな耐えてた。
それは社会に出るために土の中で長い年月を耐えながら過ごす蝉のように。
これがいつか役立つ事をなんとなくではあるが、理解してたんじゃないだろうか。
そうでなければギリギリの所で戦ってたか・・・。
どちらにしても、みんな親のことや兄弟の事を思うと人を殺めるという考えすら浮かばなかった。
それがどうだ?
今はそれが簡単に浮かんでしまう。
『もう少し考えてればこういう結果にならなかった』
そう言う加害者の児女。
本当にそういう気持ちがあるのだろうか?
まぁあるんだろう。
行為に至るまでは、この世の終わりだという気持ちでいっぱいで、そこまで頭が回らなかった可能性はある。
『親は気づかなかったのか?学校は?』
そういう声がたくさんあるのは事実。
でも学校は?と学校の責任を求めるのはお門違い。
これは加害者児女と親の問題である。
親は常に責任を持つ物である。
それが生んだ責任だろう。
責任とはそう言う物だ。
三菱のようにリコール隠しはこれだけ叩かれたのなら、この事件の場合も同じである。
加害者児女の声はたくさん報道されているが親の声は一体どこにあるのだろうか?





少し気持ちが入り込みすぎて申し訳ありませんでした。
2004.06.08 笑いの影



2004-06-08T23:59頃に書いた記事です。