みなさん、おはようございます。
くもたろうです。

いつもブログをお読みいただいてありがとうございます。

私は朝方、頭のスクリーンに文字が映ることがあります。

理由はわかりませんが、生きる上でのヒントや気づきになることも多く感謝しています。

今朝は、鴨長明(かものちょうめい)という文字がスクリーンに踊り、音が響きました。

鴨長明といえば「方丈記」ですね。

「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と授業で暗記をしましたが、それ以降の文章についてはさっぱりわかりません。

そのまま再び寝ようと思いましたが、やはり気になるので起き上がってネットで検索することにしました。(朝5時過ぎです。)



賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。
(Wikipediaからの転載)※俗名は「ながあき」。

禰宜(ねぎ)って何でしょう?

続けて検索です。



禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。禰宜の語源は「和ませる」の意味の古語「ねぐ」であり、神の心を和ませてその加護を願うという意味である。
(Wikipediaからの転載)

神様の心を和ませるってすてきな職ですね。鴨長明は、それになる夢を絶たれたから出家したということなんですね。

そして、


鴨長明(かものちょうめい)+禰宜(ねぎ)=かもねぎ???

通常、「かもねぎ」とは「鴨鍋を作ろうとしている時に鴨がネギをしょってやってくる」ことで、「好都合であること」を言いますが、もしかすると、鴨長明が禰宜になれなかったことと関連するのでは・・・。

と、いうわけで検索しました。

すると




カモネギ

ポケットモンスターに登場するNo.083のポケモン、「カモネギ」。

う~~~ん、調べたいのはこういうことじゃありません・・・。

そして、また検索。

やっと見つけました!!!



「葱鴨」という俗語の諺があるが、本来は「禰宜鴨」であり、日本中の神社の禰宜(神職)は、鴨氏から選出されていたことが由来のようである。
日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】より転載

納得

でも、何か、話がずれてしまったような気が・・・。

鴨長明と言えば、「方丈記」。
そこで「方丈記」について調べてみますと、東日本大震災の後でよく読まれたらしいですね。

下記のサイトで知ったのですが、「方丈記」は災害記録文学としての価値もあるのだとか。

詳しくは☟をご覧ください。

10月の名著 方丈記

震災一年目に読み直してみた鴨長明『方丈記』の地震記述

①のサイトにこう書いてありました。

「最終回は、福島に暮らし、3.11後の心のありようについて積極的に発言している玄侑さんとともに、長明の残した問いかけを考えます。」

東日本大震災で被害にあった方々のことを思うと、何も言えなくなりますが、なくなった命があることを忘れてはなりませんし、無駄にしてはなりませんよね。

日本人の底力を見せるきっかけとして、日本人が真に変わるきっかけとしていかなくてはならないのではと思います。


方丈記


☝を買ってみようかと思います。

気づきがありましたら再度アップすることとしますね。

〔追記〕

長明は禰宜になることはできませんでしたが、後世に残るりっぱな文学作品を残しました。夢を叶えていたらきっとここまで有名ではなかったことでしょう。

そして、今、東日本大震災後を生きるヒントを与えています。

鴨長明自身はそんなことはひとつだに想像していなかったことでしょう。

人の思いを超えたところで人は動かされているのかもしれませんね。