ステッキの先のあの山花盛り

 

花房のちみつな蘂に酔ひにけり

 

病室に花影あるべきほうに伸び

 

はつはなや遺骨の埃はたきたる

 

明日のことは知らぬがままに花ひらく        【笑い仮面】

 

 

 今年も桜の花が咲いた。四囲が、薄紅色に彩られまさに春たけなわという風情だ。ただ、待ちに待ったとは、今年にかぎって(だろう)いいにくい。いったとしても嘘になる。ぼくは、おかんとまた二人でお花見をしょうけねと約束をしてたのに、おかんの死をもって、それはかなえられることのない悲願となってしまった。死は、季節のうつろいと同様に酷薄なものだからしようがないものだ。それはわかっている。わかっているけど、なにやらおかんを裏切ってしまったかのような気分がしてすなおに花をめでることができない自分じしんがえずらしい。

 

 

画像:ART-Meter

 

 

 

 

 

 

鳥雲に茶碗ひとつを叩き割り

 

一国を見捨てて眩む鳥曇り

 

ルフランや鳥が雲へと入るときも

 

鳥雲に入るかなはやく風呂沸かせ

 

翼もつその身のかるさ鳥雲に            【笑い仮面】

 

 

 《鳥雲に入る》、この季語、ちょっと誤解しやすいんで、ちびっと語ってみることにしよう。勢いがよさそうで、燕や鳶なんかがきりもみをしながら急降下して、あわやというところでUの字を描き雲のなかへつっこんでいっているような雰囲気だけど、それはまちがいというか勘違い。上の画をみてわかるとおり、これは《渡り鳥》が北をさして飛んでゆき雲のなかにまぎれこんでゆく情景をさした季語。雁や鶴のほかにもおおぜい渡り鳥はいるんだね。威勢のいい句もあって、ちょこちょこ勘違いされてしまっているようだ。その責めは現代の俳人がその作品によって負うべきだろう。

 

 われにもあらずウンチクなんぞを垂れてしまった。直感派=インスタント俳句を旨とするぼくとしてはおもしろくはない。けれど、「スーパーはどっちですか?」と尋ねられてあっちにあるのにこっちのほうに行ってしまったら、大変じゃないか?という理由で、ありったけの情報をPCのなかからひろいあつめてゴタクをならべてみたしだい。

それにしても、喩えが、殺人的にへただなあ(笑)

 

画像:浩洋子の四季

 

 

 

 

 

春雷にとなりの家が立ちあがり

 

ロレンスの肖像あをし春の雷

 

くちびるにはつかみなりのかをりせり

 

蟄雷や古びた鍬の並びたる

 

けいれんののちの酸つぱさ春雷す   【笑い仮面】

 

 

 今日も今日とてうだうだとDHロレンスの詩の翻訳をしていたら、どこかで、たぶん川向こうのほうからどろどろという低いが野太い音がして、一瞬あたりが銀色のしじまに吞まれてしまう。春雷だ。分厚いコートを脱いでさあ街へ出かけよう、自然がうながしてくれているんだ。そこのじいさんもすけべえなロレンスの原書にばかり頭をつっこんでないで、たまには野原をそぞろ歩きしてみないかね?ぼくにも、そういってくれているのかもしれないな。おしまい。

 

 

 

画像:Art Majeur