サモキンのおめでたサプライズですっかりぶっ飛んでしまってた

いま(の年齢)から
子供を持つこと、育てていくことについて、

私が本来向き合うべきこと


に、ついてのブログなのですが(先日の、この記事の続編です)

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弟の結婚(親から勘当された後、家族とは10年以上にわたり疎遠)をキッカケに、うちは家族離散してしまってるんです(※両親は私たち子の成人後に離婚)

だから私は40も過ぎて、いまだチャイナでチャラチャラしていられるわけー
あとさき考えずに中国人男性と結婚して、日本で生活するならともかく、このまま中国に永住させていただきたく存じまするな勢いで不妊治療にも励んでしまっていたわけで…

そして母は特段、娘の私に、弟の結婚(勘当)後はよりいっそう、結婚して子を産み母になる人生をすすめようとしませんでした。

私の(娘の)幸せを願って…というよりは、自身の結婚生活に対する不満、私たち子を育てるにあたり、自分がどれだけ自己犠牲を払ってきたか…を執拗に語りつづけ、出産につながる結婚を妨害しまくるスタイル。

夫(当時は彼氏)が私の親に綴った結婚に向けての挨拶の手紙を私の目の前で八つ裂きにしたり、国際結婚の手続きをすすめるにあたり、一時帰国時に取得した戸籍謄本を中国へ戻る前日に私のスーツケースから抜き取り、裏の畑で燃やしたり…滝汗

愛する人ができて、結婚を考えていると伝えると
「アンタ、アテシの苦労からなーんも学べてないんやね…」ってため息つかれ、「おめでとう」ではなく「お好きにどうぞ」と言われて私は夫と結婚しました泣笑

以後、帰省しても結婚生活についての話はタブーで、現在不妊治療に励んでいることも両親には明かしていません。
そういったことを相談できるような親子関係を、残念ながら私は自分と親との間に築くことができませんでした。

夫に対する不平不満と母親になって後悔してる件について、母のとりとめのない愚痴を聞かされつづけ、時に「アナタを産んでしまったことは私の人生にとって取返しのつかない失敗だった」と責められ、「母親の不幸」=「子供の責任」と捉えてしまっていた私は、それでも母から愛されたいと望むばかりに母親の顔色を伺って生きてしまうところがあったのだけど…

私の40歳の誕生日に、国際電話のむこうで
「母親であるアテシがカラダをはって(妊娠・出産を)ここまで妨害してやったんだから、さすがにもう(子供を)産めないわよね!?背負う荷物(子供のこと?)が少ないぶん、老後のお世話をヨロシクね!」
と母が嗤った(※“笑った”ではなく“嗤った”)のをきっかけに、プッツンしてしまったんです。

そこから「不妊治療…ガンガンいくぜ!」と、遅ればせながらもエンジンフル回転モードに突入炎

「私が産んで、私が育てる子供」について考える時に、母がどう思うか…を考えて恐れおののく前に、配偶者である夫の顔がちゃんと頭の中に浮かぶようになりました(※この点については、ないがしろにしつづけてゴメン…と、夫に対して思ってます)

ところが

ところが、


我が母より、うんと賢い伝え方で、ご自身のお子さんに
「子どもは産まないほうがいい、産んでも一人にしておけば…」を、必死に伝えようと奮闘しておられるママさんのブログを発見したんです。

全力で子供を持たないことをおすすめするアラサーママさんのご意見を、つい先日まで不妊治療にKURUっていたアラフォーの私が読ませていただき、すべての記事に「いいね」をつけてしまうという、傍から見ればシュールなブロガー関係なのかもしれないけれど、私自身に母親から「産むな増やすな」と言われつづけて育ったバックグラウンドがあるせいか、気になってその方のブログを吸い寄せられるように読んでしまいます。
更新を毎回とても楽しみにしているし、その方の想いがお子さんに上手く伝わればいいな、お子さんも私のように歪んだ思考で子供を欲しがってしまわずに、ご自身の人生を精一杯輝かせて生きられるとよいなと願っています。

高齢妊娠(出産)や、高齢での不妊治療に対して辛辣なことも書いておられるので、その方のブログを紹介はしませんが、高齢で不妊治療に励んでいる立場の自分から読ませていただいても嫌な気はしません。
「そうだよな…」とうなずきながら、このまま子供を持たない人生もアリかもね…と、半分ぐらいは思えはじめているというか…

いま、日本で(もちろん中国でも)子を産み育てることは本当にしんどくなるばかりの世の中だと思います。
その点に、私はやっと自分の母親というフィルターを通さずに目を向けられるようになった気がしています。

思えば、私が子を産み育て、母になりたいと望む理由の原点には「私は決して母のようにはならない」という強い反発心があり、その怨念は(正直)産まれてくる子供の幸せを願う気持ちをはるかに超えてしまっていたところがあったカモ…

自分も母親になることで、

「アナタみたいに能力の低い人間に母親になる資格なんてない」
「向いてないわよ、親になるのは。自分で自分の面倒みるので精一杯の器量しかないくせに」


…という言い方でしか、娘が母になることを反対する能力のなかった母親を私は見返したかったんだと思います。

実態は「何も考えずに子を産み、産んだ以上は育てるしかなくなり、貧困に陥ってしまった母の苛立ち」を、娘の私はとりわけ強くぶつけられつづけてきただけなんだろな…

そのことに気づけたいま、来年明けからの不妊治療の再開をちょっとどうしたものかと、も、考えはじめてしまってる次第です(…とか言いつつ、来月のD2受診に向け午前休を申請済みだけどさ。けっきょく採卵に向けがんばってしまうんだけどもさ。)

逡巡しつつ、とりあえず、この正月休みに読もうと考えてるのがこちら。



この本は例のアレですよ、
オルナ・ドーナトの母親になって後悔してるの中文版です。

中国語版のタイトルはマイルドに『母になるという選択』と訳されていた

こういうのも、我が母は得意げに「時代が私の考えに追いついた!」「私が言いたかったことが全部書いてある!」と言って執拗に読むことをすすめてきます。
うっせぇわ!…と私は思ってて、絶対に読んでたまるかと思ってたんだけど、まぁ中国語でなら…(難しすぎて読めないので。日本語版は心をえぐられてしまいそうで、怖くて読めないアセアセ

私も母親になったら後悔してしまうのかしら。

母親にならない(なれない)場合の後悔というのはある程度予想がついていて、結婚・出産適齢期に母親から難癖をつけられ出産のチャンスを逃してしまったこと、どれだけ結婚を反対されようが、弟のようにズッコンバッ婚して親の呪縛から逃れる勇気を持てなかったこと…諸々後悔してしまうんだろうな(現に今、後悔してしまっている)

 

これから1年後、2年後に、不妊治療に励んだ結果として子供を持つことができるか・できないかが決まってくると思うんだけど、幸い子供を持つことができた場合には、自分も『母親になって後悔してる』と思ってしまうのかもしれないし、そう思ってしまったなら、自分の子供に「子供を持たない人生もアリ」ということをどんな風に伝えればよいのか悩むし、

 

子供を持つことのできない側の人生に決まるなら「(娘の妊娠・出産を)妨害してやったんだから、さすがにもう(子供を)産めないわよね…だもんで老後の面倒ヨロシク!」という母の言葉を、上手く自分の中で消化しながら親の看取りを手伝わなければならない未来が待っています。いまはこの発言から娘の私に子供を持たせないことで、都合よく私を介護要員に仕立てあげようと仕向けたんか!?ムカムカという母の打算を嗅ぎとってしまうばかりで、恨みつらみしか湧きません…

「前衛的な母親の意向に影響され、婚期も出産適齢期も逃してしまったけど、子供を持たなくてよかったわー」って思えるような生き方ができるんだろうか私は…

 

つらつらと、とりとめのない独り言を語ってしまってすみませんアセアセ

 

いきなりどーしたどーした!?って、コメントに困ると思いますので、コメント欄は閉じておきますニヒヒ

 

子を産まない(産まれてこない)幸せもあるのか疑惑への考察はまだまだ続く!!(予定)