シンポジウム「文化財の保護と修復 九州の文化財」に参加しました | 蕨手のブログ

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シンポプログラム 11月23日の最新情報に掲示しておいた、文化財保存学会主催の表記シンポジウムに、今日は朝から参加して参りました。当学会は文化財の保存や修復に関する研究交流を目的としているようで、九州国博の三輪館長も運営に深く関わられてきたようでした。
 会場は九州国立博物館でしたので、車はやめて自宅から自転車で向かいましたが、結構上り坂がきつくて辿りつく頃には汗ビッショリのヘトヘトになってしまいました。

記事は完成しています

 しかし、振り向いてエントランス見たときは疲れも忘れて驚愕していました。入口には、開館予定時刻30分前というのにものすごい人で溢れていたのです。
 2日前と同じく、早めの入館が始まっていましたが、人の列は更に膨れあがっていました。開館記念展最終日前日だからでしょうが、待ちに待った新国博に寄せる人々の期待と興味の大きさを改めて思い知り、心が熱くなりました(先を急いでいたため写真取りませんでした残念)。

 国博が酷博になりかねない混みように圧倒されつつ、私は自転車を止めて人々の進む方向とは反対側に回り、館北側横の職員入口から密かに入館しました。入館時の混雑を予測した事務局が予めメールでシンポ専用の入口を用意してくれていたのです。
 難なく入館し、5分遅れで受け付けた私は大ホールに入った途端再び驚愕しました。広いホールがほぼ満員だったのです。入場者の約半数は一般の参加者と見受けられ、専門的なシンポにこれほどの参加者を予測してませんでした。でも、保存学会にこれだけ興味を持ってもらえるのは、文化財に対する皆の評価理解が高まった事でもあり、非常に喜ばしい事ですね。
受付会場
左:大ホール入口の受付
右:満員の参加者






 最初の講演は国博の三輪館長で、今まで知らなかった明治以来の文化財保護創生期の歴史を詳しく興味深く語ってくれました。特に、江田船山古墳出土物に代表される九州出土の重要文化財が東京にあるのは、奪われていったのでは無く、ちゃんと売買取り引きされた結果であると言う話には複雑な想いがしました。

 その後も次々と興味ある講演が続いたため、中座して見に行こうと思っていた水城跡発掘調査現地説明会は諦めざるを得なくなりました。残念ですけど、どなたか見られた方はご報告下さい。

演1演2
左右:興味ある講演が次々と







 そして、いよいよ今回シンポのハイライトは文化財研究所、朽津先生の「顔料から日本美術の源流を探る-九州装飾古墳の世界」です。
 古くから伝わる文化を私たちは伝統と感じますが、その伝統とはいつ始まったのでしょうか?外国から入って来た文化が日本に馴染んだ結果、それを日本の伝統と錯覚していることも多々あるのではないでしょうか?日本画の伝統的な顔料は添付画像に示す通りですが、これは本当に日本の伝統なのでしょうか?
 朽津先生は、全国の装飾古墳と、その後の美術品の顔料分析を、くまなく精力的に実施された結果、装飾古墳や同時代に使われた顔料(天然鉱物主体)とその後の仏教を中心とする美術品に使われた"伝統的"顔料が明らかに異なっている、と言う日本美術史上重要な事実が判明したそうです。

演3顔料1
左:朽津先生のご講演
右:日本の伝統的な顔料成分、しかし、本当に伝統的なのか?





 取り上げられたのは緑と青の顔料で、仏像の緑色にはいわゆる銅の錆色(緑青:ろくしょう)が使われていますが、装飾古墳の緑色には緑土(還元された鉄を含む緑色の石や土を砕いたもの)、さらに、仏像の青色には銅化合物の色(硫酸銅の色、群青:ぐんじょう)が用いられていますが、装飾古墳の青色は、実は青ではなく灰色粘土であった(全ての古墳で)と言うことでした。

王塚緑
左:王塚の奥壁壁画この面だけでも4色(赤黄黒緑)使われている
右:緑色顔料の拡大写真、緑色の土が使われている




横山灰
左:横山古墳の石屋形左袖の壁画3色(赤白青)と言われていた
右:拡大写真、青くない!





 古墳壁画を目にすると青色の顔料に見えるのが灰色というのは納得できませんでしたが、スペクトルグラフを見ると確かに青色の反応が無く、目から鱗が落ちる思いがしました。建造時に青色だったものが、経年によって灰色に変化したとは考えにくいとのことで、多分他色(赤や白)との対比でそのように錯覚するのでしょうね。
 埴輪や石製品(常設展の岩戸山石刀)にも古墳と同様の顔料が用いられている例があっても逆はなく、臼杵石仏の緑色も緑青ではなく緑土であるとのことでした。
 また、緑や青以外にも、赤がベンガラ(酸化第二鉄いわゆる赤サビ)から朱(水銀と硫黄の化合物)へ、黒がマンガン土や木炭から墨へ等と変わっているそうです。

スペクトル石刀
左:青色のスペクトル比較、古墳顔料は青色の反射がない
右:緑土顔料が僅かに残る岩戸山石刀(国博展示中)




 では"伝統"的な顔料が使われるようになったのはいつからでしょうか。古墳終末期の高松塚古墳では既に"伝統"的な顔料が使われているそうで、九州でも観世音寺創建時(8世紀)の仏像顔料では緑青顔料が検出されるとのことで、渡来人、仏教伝来と共に伝統的な顔料がもたらされ、全国に広まったと考えられます。このことは文献的(日本書紀、まとめスライド参照)にもうかがえるそうです。
 我々が伝統だと思っている日本画顔料は、実は後から伝わったものであり、装飾古墳の絵画や顔料こそが日本美術文化の源流であると言う話は、私にとって本当に勇気づけられる内容でした。
このように、顔料に関しての新事実に興味は尽きることはありませんでした。

埴輪塑像
左:緑土や灰色が塗られた埴輪
右:観世音寺創建当時の塑像片、群青顔料が残っている





緑青銅
左右:観世音寺塑像片の顔料拡大と銅の波長が見える分析結果







顔料2顔料3
左右:まとめ。日本伝統顔料は仏教伝来を機に以前と大きく変化したと推測される





総合討議 最後には講演者が集まっての質疑応答もあったので、かねてから気になっていた、久留米市の装飾古墳で使われたという新色、第2のベンガラ、茶色についての質問をしました。予測通り、顔料を分析し、この学説を提唱したのは朽津先生本人だったとのことで、赤と同じベンガラですが、使用場所が明らかに違うので、最初から別の色として使い分けられていたと解釈するのが自然だと言うことでした。
 朝から晩までの長丁場のシンポジウムだったにもかかわらず、全く退屈すること無く時間の経過も忘れるほどの濃密な内容で、本当に充実した1日でした。思わず私も会員になってしまおうかと思いましたが、なかなかまた九州までやって来そうにないことに気づいて少し冷静になりました。

 閉会時には当日の一般来館者数が2万人を突破したと聞いて、驚くことの本当に多かった1日でした。帰宅して朽津先生に聞き忘れたことがあったのに気づいて残念至極でした。竹原古墳の黒が他と違って炭系の顔料と書いてあった文献があったのを思い出したのでしたが、真相はどうだったのでしょう? どなたかご存じの方ありませんか?

 読み返して内容を修正しましたので、取りあえずこれで終わりにしたいと思います。