早朝の霧に浮かび上がる京ヶ峰横穴群、左の崖が白く見えるところあたりに横穴がある30年ぶりの再訪は、前回とは逆にこちらの方が先になり、交通手段も自家用車に変わりました。
今は九州自動車道が全線開通しているので、車で人吉に向かうのは、昔に比べたら随分と楽になりました。
まだ暗いうちから家を出て、2時間余りで人吉インターに到着し、一般道に降りた後はナビに道案内させながら最初の目的地である京ヶ峰横穴群を目指しました。 記事は完成しました。

左 駐車スペースから線路伝いにしばらく歩くと看板が、ここから少し左に下り進むと最初の情景になります
線路の先には30年前に渡った鉄橋が今も変わっていませんでした
右 横穴の前から線路を渡る列車の姿を認めることが出来ました。ズームしなくてもこれだけ近いです
インターを降りてから15分余りで目的地の近くまで来ましたが、最後は細い道でしか近づけないらしく、直近までは案内してくれません。
入口の標識等も見つからないので、自分で見当を付けて脇道を進んでいくと案内標識を見つけました。更に細い道をうねうねと進んでいくと鉄道線路脇の駐車場に到着しました。ここから200メートルくらい線路沿いに歩くと目的地の京ヶ峰横穴です。
左 横穴の登り口の解説板
右 登りながら眺める横穴と装飾の全貌右端に二個の靫、左端に二個の盾と車輪状文が小さく見える。入口のすぐ左には落書きが刻まれて醜い
当時の詳しい記憶は薄れていますがほぼ昔通りの状態で、例の鉄橋も目の前に健在でした。
看板前の坂を上ると目指す横穴の前に到着です。
確認出来るのは2基のみですが。2号横穴は入口が崩壊して内部が剥き出しになった状態です。
壁面に彫られた装飾は全て健在で、ほとんど変化は見られませんでした。やはり北面する環境が顔料の保存に良いのでしょう。
しかしながら、壁面をよく見ると、色々なところにひび割れが走っており、ここも安全な状態とは言い難いのは他と大差ないようであります。
彫りの深い見事な浮彫と、表面に残る彩色を、ウットリと眺めていると時間の流れが止まったように感じました。
大小二個の靫の浮彫と人物の顔と言われる装飾を撮影した

左 大きい靫の拡大図、うっすらと良く残る彩色、彫りの深い浮彫、均整のとれたプロポーション、矢の身を表現した赤い縦線、鋭い鏃処理、ウットリです
右 小さい靫と、その上のミズラをたくわえた人の顔と言われるもの、こちらの靫は少し寸胴です。人物は彫りが薄く、首、顎の線と鼻の穴が確認出来るの程度、輪郭線で上を表現するが、耳の下あたりがミズラのように輪郭表現されている
文様を概説すると、入口が良く残る1号の右側壁面には大小二個の靫が浮き彫りされており、特に大きい方は均整のとれた美しい形がとても魅力的です。胴体下部に帯状に掘り下げられた部分には差し込まれた矢の身の部分を表すと見られる赤の縦線が何本も書き込まれており、実物はこの部分が中空であったことがうかがえます。
小さい方の靫はやや均整が悪いですが同様の彫られ方です。
そして、小さい靫の直上には、浅い彫りで人間の首や顎のラインが彫られ、鼻の穴を示すと見られる二個の穴、目は見あたりませんが、更に浅いタッチで髪の毛のラインも描き込まれています。髪の毛のラインは顎の両脇で脹らんでおりミズラを付けた男性の像と言われています。
靫と彫りの深さが全く違うため、後世の追刻と言われることもありますが、靫の浮彫と連続的一体的に彫られており道具の変わった境界がないため、当時のものとする意見の方が強いようです。
真否は判りませんが、図柄としては類例のない珍しいものですので、訪問された方は良く注視してみて下さい。
左側少し離れたところにある長剣、盾、車輪状文、顔料が特に良く残る。
1号の入口に戻りまして、反対にその左側の壁面は手前に向かって次第に回り込み、迫り出してくるようになっています。
そして急角度でまた外側に折れ曲がり、2号横穴の方に続いています。
折れ曲がってすぐの壁面に四角い盾と長剣、右下に車輪状文が浮き彫りされており、表面に赤と青で塗られた彩色が外壁の装飾としては例外的に良く残っています。特に盾の表面の菱形模様は美しいので必見です。

右 車輪状文の拡大図、大村横穴の文様よりも大きい。婆の広い外周部は青で塗られ、スポーク部と文様の周囲は赤で塗られているようだ
左 長剣と盾の拡大図、盾に青で描かれた二段の菱形模様が美しい。中央部が大きく剥落しているのが本当に残念。本来はこの部分に大村横穴に描いてあったような取っ手が更に立体的に彫ってあったはずで、一番下の部分が少しだけ残っている。菱形の周囲は赤で塗ってある。剣は剥落が酷いが、良く残る先端部の状態から、赤で縁取りされ、中心は青で塗りつぶされていたようだ。盾や剣の周囲は青の顔料で縁取りされているようで、更に外側にまた赤色が塗られていたりしているようだ
盾は四角に近い台形をしていますが、各辺は微妙に内側に反り返っています。中央部が1/3位剥落して取っ手の彫刻も欠けているのが残念です。
その左の剣は表面の剥落が著しいですが、盾とほぼ同じ長さの見事な浮彫です。
車輪状文は近くの大村横穴を含め、類例が少ない珍しい文様で、多分最も大きく彫られた例だと思います。
これらの三つの文様は、昔は左側に入口のある2号横穴の装飾と言われていますが、熊本県の総合調査報告書によると、正面から見える入口との距離が近いと言うことで1号に付随する装飾とされています。現地で見て比較してみましたが、距離的には「微妙」というのが感想ですね。鑑賞する側としてはどちらに付随しようがあまり関係ない所であります。
ところで、車輪状文のすぐ上には棚状になった部分がありますが、副葬品等を置く場所として加工されたのではないかとも言われています。
左 更に左側のもう一個の盾も一緒の画面に捉えたもの。この盾は彫り方が他より荒く、彩色も見られないため、後世の追刻と報告されているが・・・
右 入口の崩れた2号横穴と例の盾の位置関係、この状態より壁面が崩落した後に盾は彫られたとされているが・・・
これらの装飾から更に左に行くと入口が崩落した2号横穴があり、その右上にもう一個の盾が浮き彫りされています。形は先程の盾に良く似ていますが、表面に顔料は残っていません。
昔はこの盾と先程の剣、盾、車輪状文も2号に付随する装飾とされていました。
ところでこの盾を良く観察すると、彫刻面が今までの浮彫と違って荒いタッチになっています。他の文様には良く残っている顔料が認められないのも相違点です。
前述の報告書によると、この相違点と共に、すぐ左下の2号入口部分が崩落しており、崩落後の壁面にこの文様が彫られているらしい事等を理由として、この盾はずっと後の追刻であるとされています。
この記述を確かめるために、右側の盾や剣の浮彫と周辺の壁面をつぶさに観察しました。たしかに彫りのタッチは明らかに違いますが、壁面は綺麗に連続し、崩落による剥離断面等は確認出来ませんでした。
それらしい断面は左側盾のすぐ左に垂直に線が入って角度が変わっている面に確認されました。
私の観察に基づいて推察しますと、2号横穴入口部分の崩落はこの範囲で留まっていると感じられます。
おそらく、1号と2号は制作時期に隔たりがあり、靫や右側の盾、剣、車輪状文は報告書の通り1号横穴に付随する文様として刻まれ、左側盾のみはしばらく期間をおいて2号横穴が掘られた時に付随する文様として彫られたのではないでしょうか?
したがって、これらの浮彫の制作時期に違いがあると言っても、古墳時代の範囲内であると考えられ、2号入口の崩落後ではないのではないか、と言うのか私の判断であります。後世の落書きにしてはモチーフの共通点が揃いすぎるように感じます。
微妙な問題ですので、実際に見られた方はご意見いただくと幸いです。
1時間ほど留まってじっくり観察しましたが、30年前も今も周囲には人家無く、たった一人で周囲の森がそよぐ音と、稀に走る電車の音のみを聞きながら壁面の浮彫に見入っていると、太古から変わらない神聖な地のオーラのようなモノが体の中に染み渡る感触がして、恐ろしいような嬉しいような不思議な感覚に陥りました。
規模は小さいけれど、じっくりと感動を与えてくれる良い遺跡だと思います。是非一度探訪されてみて下さい。
去りがたい感情を抱き、度々振り返りながら、私は次の目的地である大村横穴を目指しました。