
左 60年前調査時の石室内の写真
右上 前期古墳の特徴をよく残す墳丘
右下 石室周辺の調査風景
阿蘇ピンク石石棺の謎に代表されるように、装飾古墳のことを色々と調べれば調べるほど、先史時代や同時代の中央政権との関連が気になってくるものである。
先日、大王級の被葬者が葬られたとされる大型の前期前方後円墳、桜井茶臼山古墳が詳しく再発掘されました。石室内におびただしく塗布された国内最大量の水銀朱や貴重なコウヤマキ製の木棺、50枚を超える副葬の鏡、石室を囲む整美な玉垣や木柱など、全てがこれまでの常識を上回る度肝を抜く規模なのは間違いないようである。水銀朱と言うものの重要性にも改めて再認識させられました。

左 発掘調査図面
右 石室上施設の想像図
左下 60年ぶりに光を浴びた華麗な石室内の様子、水銀朱の発色が美しい
このような地方から見た場合の常識をはるかに超えた豪華な埋葬が、非常に早い時期のこの古墳の時代から施されていたことは、予測を超える早い時期からの大和政権の強大な力と、地方の屈服を残念ながら思わせるものである。
大和はかなり早い時期からずば抜けた権力を確立して全国にその影響を浸透させ、その結果が1000km以上正反対に離れた遠い僻地の古墳から発見された倭王武の銘を持つ二つの鉄剣、鉄刀へと繋がるのかもしれない。
装飾古墳成立の謎に迫るためにも、やはりどうしても天皇陵の壁を突き破って大古墳の詳細な調査が必要な時期が来ていると強く感じます。

天井を汚す愚か者の醜い落書き
それにしても発掘後の石室内に忍び込んで堂々と自分の名前を落書きするなど、いつの時代にも後先考えない愚か者が居るものである。このような者が居るから鉄のカーテンがなかなか開かないのかもしれないと考えると、怒りを通り越して呆れるしかない。
愚か者の名前はこれからも長きに渡り、その愚かさの証拠として残り続けていくことだろう。
インターネットで検索した主な記事を下記に示します。下のサイトもご覧ください。
http://www.47news.jp/movie/general/post_3375/
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200910230148.html
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桜井茶臼山古墳 奈良盆地東南部に6基が集中する古墳時代前期(3世紀中ごろ~4世紀前半)の大型前方後円墳の一つ。石室を特殊な壺で囲んでいるのが特徴。石室は盗掘されているが、碧玉(へきぎょく)製品や武具など副葬品は豊富。被葬者は分かっていない。6基の被葬者は大王級とされ、同古墳と、近接するメスリ山古墳以外は陵墓に指定され、調査はできない。
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木棺はコウヤマキ製、やはり大王を埋葬 奈良・桜井茶臼山古墳
2009.6.13 14:07
昭和24年の調査で発見された桜井茶臼山古墳の竪穴式石室内の木棺の底板(手前)=奈良県立橿原考古学研究所付属博物館図録「巨大埴輪とイワレの王墓」より 初期大和政権の大王クラスの前方後円墳で、被葬者の魂を守る「玉垣跡」とみられる柱穴列(はしらあなれつ)が見つかった奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(全長200メートル、3世紀末~4世紀初め)で、遺体を安置した木棺が、大型古墳で用いられるコウヤマキの木で作られていたことが13日、県立橿原考古学研究所の調査で分かった。昭和24年の調査で「トガの巨木」と鑑定されたがコウヤマキと判明。約60年ぶりに「真実」が突きとめられた。
同研究所が、木棺を納めた竪穴式石室周辺を発掘したところ、長さ数センチの木の破片100点以上が出土。木棺の一部とみられ、顕微鏡で詳細に観察した結果、細胞の形などからコウヤマキと特定した。
竪穴式石室は、24年の調査によって、長さ6・8メートル、幅1・3メートル、深さ1・6メートルの規模と判明し、木棺の底板が長さ5・2メートル、幅70センチ分見つかった。当時の分析では、マツ科の針葉樹「トガ」と鑑定されていた。
古墳の木棺は通常、石室内に流入する土砂などによって腐食して残らないことが多いが、初期大和政権中枢部に築かれた前方後円墳の大和天神山古墳(同県天理市、全長103メートル)や前方後方墳の下池山古墳(同、全長120メートル)などでは木棺が残っており、いずれもコウヤマキ製だった。
全国の前方後円墳などでもコウヤマキ製の木棺が多く、桜井茶臼山古墳の木棺の鑑定結果を疑問視する説が多かった。ただし、木棺は60年前の調査終了するとともに石室内に埋め戻されたため、再鑑定ができないままだった。
昭和24年の発掘調査で石室内の木棺を間近に見た北野耕平・神戸商船大(現神戸大)名誉教授(78)は「再調査の必要性をずっと感じていたが、60年たってようやく真実が分かったのは画期的」と話し、24年当時の木棺の残存状況については「1700年前とは思えないほど堅くてしっかりしていた」と語った。
今回の調査を担当した岡林孝作・同研究所付属博物館総括学芸員は「コウヤマキは山間部など高地に生えているため入手も容易ではなく、大王の棺にふさわしい」としている。
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【桜井茶臼山古墳】40~50枚? 副葬の銅鏡、国内最多か
2009.6.12 20:46
桜井茶臼山古墳の後円部=8日午後1時1分、奈良県桜井市(本社ヘリから・前川純一郎撮影) 桜井茶臼山古墳では、銅鏡の破片153個も出土した。昭和24、25年の調査で見つかった20枚近くの鏡と合わせると、計40~50枚を副葬したとの見方も浮上。国内最多の40枚が出土した平原(ひらばる)1号墓(弥生時代後期、福岡県前原市)を上回る可能性も出てきた。
鏡の破片は竪穴式石室周辺から出土し、大半が数センチ大に割れていた。60年前の調査では、邪馬台国の女王・卑弥呼に対し、中国から下賜(かし)されたともいわれる三角縁神獣鏡などが見つかっており、同研究所は鏡の種類の特定などを進める。
古墳出土の銅鏡は、大和政権の大王が、大陸の王朝から下賜されたものを国内の地方首長らに配布して服属を誓わせたとの説や、鏡の光によって被葬者の魂を邪悪なものから守るための「葬具」といわれるなど、謎の多い副葬品。同古墳の鏡は、大和政権の権力構造を考える上でも重要なカギを握るとみられる。
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【桜井茶臼山古墳】度肝抜く発見…被葬者は誰?
2009.6.12 20:48
桜井茶臼山古墳(手前)と三輪山=8日午後1時1分、奈良県桜井市、本社ヘリから・前川純一郎撮影) 石室を囲む「玉垣跡」が全国で初めて見つかった桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市)。大王クラスの大型古墳の発掘例は極めて少なく、60年ぶりの再調査は研究者の度肝を抜く発見に結びついた。「被葬者の魂を守る施設」「たたりを恐れて権力者の霊を封じ込めた」。前代未聞の発掘成果に、研究者も興奮を隠さない。聖なる白木に囲まれて眠りについた被葬者へ、ロマンは尽きない。
「垣の内側には、被葬者の魂が住むための木製のミニチュアの家などが並んでいたのではないか」と推測するのは和田晴吾・立命館大教授(考古学)。外部世界と隔絶するための玉垣説を唱える。
「玉垣ではなく、建物跡だ」と主張するのは石野博信・香芝市二上山博物館長(考古学)。古代中国の皇帝陵の墳丘上に建物が設けられた例を挙げ、「被葬者の魂が宿るための建物を設け、中国の制度を積極的に取り入れたのだろう」。
一方、平安時代の法律注釈書「令集解(りょうのしゅうげ)」には『倭の五王の一人、雄略天皇が亡くなった際、魂が暴れ出したため儀式を行って鎮(しず)めた』との記載があることを指摘する和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)は「柱列には、死者の魂が暴れ出さないよう鎮める役割があったかもしれない」と指摘する。
調査担当の岡林孝作総括学芸員も「柱をすき間なく立てたのは、被葬者の魂を内部に封じ込めようとした証し。当時の人たちが、亡き首長の霊力に対し、いかに恐れおののいていたかが見えてくる」と話す。
それほど強大な力を誇った被葬者はいったい誰だったのか。
奈良盆地東南部には、桜井茶臼山古墳をはじめ邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説が根強い箸墓古墳(同市、全長280メートル)や崇神天皇陵(同県天理市、同242メートル)など、200メートルを超す巨大古墳が6基あり、いずれも大王クラスの墓ともいわれる。
そのなかで、桜井茶臼山古墳は箸墓古墳などから南に約4キロ離れ、大王説に否定的な見解も。塚口義信・堺女子短大名誉学長(日本古代史)は、崇神天皇が全国に派遣した「四道将軍」のうち北陸を担当した大彦命(おおびこのみこと)を挙げ、「天皇伝承がない桜井茶臼山古墳は、大王に近い有力者の墓と考えるべきだ」と話した。
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