1976年当時の宇賀岳古墳の状況、古墳にはなかなか見えない今年の秋の一般公開の目玉として、熊本県宇城市の宇賀岳古墳が初めて一般公開されました。
このブログの読者も見に行かれた方もおられたことでしょう。ただ、装飾の確認に関しては、不満足な結果に終わったかも知れないと思います。
壁画の詳しい概要を予め把握していないと、観察が難しい装飾構成になっているからです。
そこで装飾の全貌について特集し、再び公開されるであろう来年3月の公開に備えてもらおうと思います。
先ずは昔とは全く変貌してしまった古墳周囲の環境を認識いただくために、久しぶりに昔の探訪紀行を投稿いたします。
宇賀岳古墳は現宇城市(旧松橋町)の岡岳丘陵の頂部に位置する装飾古墳です。
そこを初めて訪れたのは1976年8月22日いつもの探訪仲間数人と連れだって鈍行列車で鹿児島本線を下り、午前中宇土市の刈又古墳を見てきた後でした。
その後再び南へ下って松橋駅を降り、町の背後の山が目指す場所です。丁度その日は高校野球決勝戦の日で、桜美林高校とPL学園の息詰まる決戦を携帯ラジオで聞きながら観察していたことを良く覚えています。
当時の石室の状態とその図面
貼り付けた画像のとおり、当時は現状と全く異なり、墳丘封土はすっかり無くなってしまい、天井石が落下しかけた壊れた石室が辛うじて残るだけで、公園の中でモニュメントのように庭石で囲まれた状態で管理されており、古墳と認識するのも難しい様子でした。
学生の集団が、居合わせた市民から怪訝そうに眺められながら、匍匐前進で天井石の下を潜って線刻や彩色を観察するという何とも怪しい場面が、今思い起こすと可笑しいです。
間近で確認できるので線刻線は良く確認できましたが、当時は雨ざらしの状態だったので彩色は痕跡が確認できる程度だったと記憶しています。
装飾はある意味期待はずれでしたが、屋根型に加工された天井石や、一枚岩の側壁等、巨大な石棺を思わせる独特な石室構造が珍しかったものです(土を盛られ現在は実感できませんが)。
当時はとにかく装飾古墳探訪をコンプリートさせることに興味の中心がありましたので、探訪できたことに意義を感じ、桜美林高校の優勝を伝えるラジオを聞きながら帰路に着きました。
その後の復元工事で石室、墳丘が復元整備され、30年後に再訪してみたらあまりの変貌に唖然とさせられました。
保存が良くなったことで彩色が回復し、随分とハッキリ確認できるようになったのですが、ガラス越しの観察となったことで浅く細い線刻文様は確認がとても難しくなったのは残念です。
その装飾の全貌については次の投稿で解説いたします。
引用文献
1976年 「熊本の装飾古墳」 熊本日々新聞社
1978年 「装飾古墳白書(熊本県)」 装飾古墳を守る会
1984年 「熊本県装飾古墳総合調査報告書」 熊本県教育委員会
現在の奥壁装飾壁面