いよいよ本題の阿蘇ピンク石(馬門石)調査の顛末について語りましょう | 蕨手のブログ

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井寺5宇土の鏡井寺古墳のピンク石は孤高の存在なのか?
ピンク石探訪の過程で寄った宇土市の歴史資料館には興味ある出土物が沢山展示してありましたが、ゆるりと見る間もなく先を急ぎました

 さて、旅の本題の古墳石材としての阿蘇ピンク石に関する探索でしたので、その結果について詳しく総括したいと思います。
 旅の始まりからずっと、訪れる遺跡毎に石材について注意深く観察していきましたが、いわゆる阿蘇ピンク石と思われる石材はなかなか見つかりませんでした。  「あそこの石は間違いないだろう」
と予測していたものであっても、実際によく観察すると石材の色ではなく、ベンガラの顔料が塗布されていて赤く見えるものばかりなのです。神社の鳥居や灯籠などにも注目してみても見つけることができませんでした。

 唯一、井寺古墳のみは塗られている顔料には関係なく間違いなく石材の色からしてピンク色で、私の直感は間違いなかったと思いました。
 しかし、当初はもっと多くのピンク石を見つけることが出来るものと期待していたので、期待はずれの感は否めないことでした。

 2日目の午後にはめぼしい古墳は見終わりました。宇土半島南岸の旧不知火町の道の駅で休憩昼食を取りながら、

「生産地であるならもう少し多くの構築物が見つかっても良いはず、結局井寺のみでしか見つけることが出来ないのか? それとも井寺の石材自体も見込み違いでなのか?」

と落胆しつつあった時、K氏が  「ピンク石の切り出し場があるはずなんですが」と言われ、
 「そうだ、先ず産地に行く方が情報が得られるはずと」
と新たな目標が決まりましたが、その場所がよく判りません。

 そこで、地元の人間なら知っているかもしれないと、道の駅の店員に片っ端から聞いていきました。すると、どうやらそれらしい場所を知っている人がいました。
 宇土半島北岸から分け入った山中の宇土市内「網津」と呼ばれる場所が該当するようでした。そこで足早に宇土市に向かいました。

 宇土市街地を通り抜けようとした時に、K氏が歴史資料館らしき建物見つけました。
 「こちらで聞いた方がより詳しい情報が得られるかもしれない」
 と、訪ねてみると、休館日であるらしいのにもかかわらず、館長さんらしき方が親切に応対くださり、地元で「馬門石」と呼ばれているピンク石の所在地や、経緯(確かにその場所で石棺が再現されて大阪まで運ばれたこと)や、解説資料を提供して頂きました。 これで百倍勇気づけられた我々は一路目的地の宇土市網津町馬門の地を目指しました。

 指定された信号を曲がり網津側に沿って遡りましたが、何処にでもある普通の山村の様相です。「本当にこの道で良かったのかいな」   とまた不安になった途端、目前にピンク色の鳥居が現れました。  「あれが馬門石(阿蘇ピンク石)だ」  と歓声を上げつつ木立で見通しの悪い狭い谷筋道を突き上っていくと、突然眼前が開け石切場らしき場所に到達しました。

石切場1再馬門石切場2
ようやく辿り着いた阿蘇ピンク石の石切場の景観。切断面の古さによって微妙にピンクの色合いが違う、水分を含むと赤さが増す 切り取られたばかりの表面は桜色と言っても良い薄ピンク色


馬門石切場3馬門石拡大 そこは異空間にも感じる不思議な光景でした。目の前に沢山転がってる岩石や、ノミ跡を各所に残すデコボコした崖全体が薄ピンク色に染まっていました。
 「おおーっ!」
 と開口一番の歓声の後、しばし見とれて我を忘れ、気を取り直すと目を閉じて   「紛れもなく同じ場所で1500年前、職人たちがノミを振るって大王の石棺を刻んでいた!」  その光景が瞼の裏に浮かんで、悠久の時の流れの偉大さにただ圧倒されていました。

 私は近づいたり離れたり、いろんな角度と距離から目前の美しい石材をしげしげと眺め、珍重されるに相応しい美しい石材であることを認識しました。切り取られたばかりの表面と古い表面では色合いが微妙に変化するようですが、どちらもほれぼれするような美しさでした。

馬門工房 傍らには工房らしき小屋もあり、制作中の現代の石像作品も置いてありました。

 ここに辿り着いたことが今回の一番の成果であると感じ、心地よい達成感得た私は、記念というわけでもなく、足下に広がる破片の中で一番気に入ったものを拾って持ち帰りたいと思いました。これは今後古墳に使われた石材を見分けるための大事なサンプルにもなるのです。



牧鳥居牧本殿石切場の直ぐ近くの牧神社は石材全て阿蘇ピンク石で築かれているこんな美しい神社が地元にも欲しい。ご神体までピンク石の玉でした





牧灯籠牧由来 石切場からもう少し奥にはいると牧神社という神社があり、鳥居から階段、石垣や灯籠、本殿まで美しいピンク石で出来ていました。古墳時代以降余り使われることの無かったこの馬門石は江戸時代になって肥後藩の管理下に置かれて石材として珍重されるようになったようです。

 この旅の中で一番の満足感を味わいつつ我々は最後の目的地である阿蘇の地へ向かったのでした。

 このように今回の旅で阿蘇ピンク石の故郷に辿り着くことが出来ましたが、その謎についての解明はまだ山積しています。

 帰還してから宇土で入手した資料を調べると、熊本県内に阿蘇ピンク石を使った古墳は複数発見されていましたが、13例(やはり井寺古墳は含まれていました)に留まっているようです。県外でも大和や吉備を中心に15例しか確認されておらず、その少なさが気になります。そして、まだ気になる点も山積しています。
赤石神社 次回からは阿蘇ピンク石と井寺古墳の謎について考察に挑戦したいと思います。

少し戻ったところにある赤石神社ではピンク石の祠と満開の桜の色の対比が絶妙でした。1500年の大いなる歴史の謎を秘めつつ、ピンク石達はひっそり黙してその地に在り続けています