
盛況なる会場の様子と熱演される広瀬先生前の記事でもご紹介しました。当講演を受講して参りましたので、少し遅くなりましたが、簡単に紹介したいと思います。講演者は国立歴史民族博物館の広瀬和雄先生でした。
内容の概略は装飾古墳に描かれた壁画の内容を通して古墳時代の霊魂に関する当時の人々の考え方を探っていこうとするものです。
古代において、霊魂に対する考え方に時代の変化が見られると言うことです。
装飾古墳以前の竪穴式石室(鏡や武器で痛い棺を取り囲む土器は無い)や装飾古墳でも初期の石棺に装飾を施すもの(文様は癖邪のためのもの)は、遺体を保存、密閉、癖邪(邪悪なものを寄せ付けない)するものにすぎず、そこに当時の人々の霊魂感な他界観を読みとることは出来ないと言うことでした。
しかし、同時期の遙か以前から、大陸では始皇帝陵の地下宮殿に代表されるように、死後も地下世界で生活すると言う考え方で、その思想に基づいた豪華な地下埋葬が行われていました。
そして日本でも、北部九州では装飾古墳前期以降、石棺が石屋形や石障に変化していき、さらに6世紀初頭には石室全面に文様が描かれるようになっていきました。文様の内容にも変化が見られ、癖邪に加えて動物(鳥、魚)や交通手段等(舟、馬)が加わり、彫刻から煌びやかな彩色主体の文
様に変わっていきました。また、副葬品に器が加わるようになり、いわゆる霊魂感、他界観が感じられるようになったと言うことです。
つまり、大陸との交流等により霊魂感の思想が人々芽生え、埋葬施設についても、石棺の扉を開き、石障、石屋形と開放的に、さらには石室全面に施文するようになることにより石室内部を他界と見なし、埋葬状況と霊魂感、他界観が一致するようになったことを示しているのではないかと言うことでした(石棺の開放は北部九州のみに見られる現象であり、大和ではず
っと石棺が続いていました)。
しかしながら、注意すべきは、この時期の他界観は現在の仏教的他界観(共通的、不可視、往還不能)とは違い、葬られた首長一人一人独自の、古墳石室としての目に見える、追葬等で往還可能な他界であった、と考えられるそうでした。
日頃から気になりつつも、深く考えることの無かったテーマについて詳しくご講演を頂き、目を覚まされたような思いがしました。古代人の他界観と言ったものに興味を
深める契機となりました。忙しい中でも時間を作って受講してホントに良かったと思います。
特に、上記の学説の根幹となる古墳時代にいわゆる「海上他界観」(他界は海の彼方に存在し、魂は舟に乗ってそこに至るとするもの)は無かったと言う考えを提示された時、古代人の霊魂感についてもっと掘り下げて勉強してみようと思い、その後先生の本や他の本を入手して今それを読んでいることです。もう少し詳しくなった上で色々と自説や批評を述べてみたいと思います。
熱心にご講演頂いた広瀬先生、企画頂いた「いのちのたび博物館 歴史友の会」の皆様、そして情報提供頂いたmiy様本当にありがとうございました。