何だかんだで間が空いてしまい、公開日の直前になってしまいました。駆け足で代表的な横穴を紹介しておきます。
鍋田横穴で最も有名なのはこれまでの横穴たちより離れた川沿いにある27号になります。と言うか、日本でも代表的な浮彫装飾と言えるのが当横穴の装飾です。
現在では入口の右半分以降が崩落して無くなっていますが、この崩落した部分にも浮彫があったことが、江戸時代に書かれた文献に図面付きで残っています。残ってればさらに華やかな浮彫装飾を目にすることができたでしょう。
このことは別の機会に触れますが、その姿がどのようなものであったかを、横穴群から台地に上った「山鹿市立博物館」から「チブサン古墳」まで続く遊歩道の途中、そこに設置されたレプリカで偲ぶことができます。ぜひそこまで足を延ばしてみてください。

残った左半分から入口は長方形をした二重の飾り縁を持った構造だったと把握可能です。入口の左隣には大の字型をした人物像が深く浮彫されてます。顔には目鼻口が全て(鼻の穴まで)刻まれているのがユーモラスです。
さらに、人物の左隣には手に持ったような形で弓が彫られています。
良く見ると弓と人物頭の間には幅広の剣のような形が刻まれているのも判ります。
弓の左隣にはやや小さめに逆6形が刻まれており、鞆と考えられます。
さらに左には奴凧形の大型靫が彫られています。この靫は口の部分の幅が異様に広い特殊な構造をしており段差模様や脚、鏃等も添えられています。
その左下には小型の靫が彫られており、小さいながらも鏃や脚を備え、コンパクトで可愛い形がユーモラスです。
その上には小さな三日月形のものが彫られていますが、これは小刀と思われます。小さいながら段を付けて柄と刀身を区別しています。
その左にはもう一個弓があり、これには7号のように矢がつがえられています。
さらに左下気味に大型の盾が掘り出されています。中間部辺りで上下段が着けられた構造をしています。
これで全てと思いきや、盾の左から大型靫の下にかけて大型の馬が浅く浮き彫りされているのを良く観察して下さい。馬は右を向いて頭を下げ尻尾をあげ、餌でも食べているようです。
装飾には随所に赤い顔料が残っていますが、中でも小型の靫や盾の上半分、小刀の柄部分に良く残っているようです。
これが装飾の全貌です。雑多ながらインパクトの強い装飾群ですね。私はこの中で独特の存在感を持つ大小の靫と本当に大の字になった愉快な人物像が大好きです。
さて、左側の弓から馬の尻尾、人物の下方に白く漆喰が塗り込められています。実はこれは西南戦争の戦闘時に銃弾が当たって深く穴が開き、破損したものだそうです。近くのオブサン古墳に政府軍の前線司令部があったそうで、激戦地遺跡でもあります。歴史的事件によって歴史的遺物が傷つけられる、皮肉な歴史の遺物でもあります。そしてそれ以上に目障りに感じるのは装飾全体を覆い尽くす白い付着物であります。
これは随分昔に横穴上の崖面に割れ目が走った際、崩落を防ごうとコンクリートの保護壁を付けた時、割れ目に沿ってコンクリートのアクが漏出してしまったものだそうです。
装飾を護ろうとする措置が反対に装飾を痛めてしまう、これも人の配慮の空回りの痛い証拠として長年残り続けているものです。
この瑕疵のため優れた装飾でありながらグラビア写真等の被写体となり辛いのは誠に残念です。頭上を見上げれば、当時の痛い保護工事のコンクリ壁が目にはいるでしょう。
重要であるために、早めに対応され、未熟さのために失敗する・・・・遺跡の保護というのは本当にデリケートで難しい紙一重の技術になるのですね。最近実施された大村横穴の保護工事の完成度の高さを思う度残念に思います。是非最新の技術でクリーニングと保護措置しなおしてもらいたいものです。
その他21、26、33、46、49、50、52、53号の外壁や内壁にも浮彫や線刻を中心とした装飾が施されていますが、時間がないので飛ばします。気になる方はコメント欄にお問い合わせください。
参考・引用文献 熊本県装飾古墳総合調査報告書 1984