さて当サイトでも隠れた装飾古墳としてたびたび扱っている朝倉市の湯の隈古墳です。
古くから彩色系装飾古墳として知られていますが、残念なことに、詳細な調査履歴が無いままに、落書き等で内部壁面の荒廃が進んでしまい、その壁画全貌は霧に包まれたままです。
加えて例年秋の一般公開にも対象となることなく、施錠されたまま非公開が続いていますが、かといって鉄格子が掛けられているのみで、気密が保たれていません。記録・保存・公開のバランスから見ても、極めて中途半端な状態で長年経過していると言わざるを得ません。


左三枚:ご提供いただいた左袖石、右袖石、奥壁の画像
このままで放置せず、そろそろ何か新しい積極的対応を打ち出していただきたいものです。
以上の現状下で我々に出来ることは、入口の鉄格子越しにその内部を遠く覗き込んで望遠で観察することだけです。
西向きの入口から日光が差し込む午後の時間帯には奥壁や袖石をギリギリ観察することが出来ます。これまで何度も観察に挑戦してきました。
そして、直近の探訪時に同行者が持参した高性能カメラで撮られた画像をいただきました。 この画像を基に、壁画の最終的な復元を試みてみましょう。
古い文献に拠りますと、当古墳の玄門左袖石前面と玄室奥壁、側壁に同心円文が描かれていたとのことですが、施錠前心無い探訪者達により壁全面に刻まれた凄まじい落書きにより 「装飾は消滅した」 とも言われてきました。
しかしながら、数年前に私が肉眼で覗き込んだところ、奥壁下部に赤と青の同心円文が1個、玄門左袖石に赤の同心円文等がおぼろげに確認され、装飾は何とか残存していると判明しました。今回はもう一歩踏み込んだ装飾復元を試みます。

実は、1970年代に石室入口前に設置されていた解説板には、古老の記憶から書き起こした奥壁文様図も記載されていました(福岡県装飾古墳白書)。
この図を今回撮影された映像と比較検討してみましょう。
画像処理して色彩を強調してみると古図のとおり複数の同心円文の存在が浮かび上がってきました。古老の記憶は大体において正しく、よく似た配置で復元されました。
添付図を参照下さい。再現できたのは周辺部のみですが、おそらく開口当初はもっと壁面全面が文様で彩られていたことでしょう。 赤と青顔料を用いて同心円文等の幾何学文様を描いた文様構成と考えられます。
袖石装飾については残念ながら文様図が残っていないので旧状がうかがい知れませんが、左袖石に赤色を用いた同心円等の文様が確認でき、左のように復元しました。
結構たくさんの文様を確認できました。左下部分は、波の上にたくさんの長い物を乗せた船が浮いているような構図になりましたが、もしかしたらこれは靫の上半部分が残ったものかもしれません。褪色が進んでいますのでもう少し近づいて観察したいものです。
おそらく反対側の右袖石にも文様は描かれていたことでしょうが現在は全く確認できません。
以上不完全ながらも装飾の全貌を復元してみました。側壁にも装飾があったようですが、視野に入らず、残念ながら観察は不可能です。
昭和39年 平凡社刊行の「装飾古墳」には当古墳石室の側面図が掲載されており、これには右側壁の文様が記入されています。

実は以前に朝倉町が配布していた「朝倉町の文化財」にも視野の広い奥室写真が掲載されていました。
これを見ると、右側壁の石材に、図面に描かれていた同心円文が微かに確認出来るようです。
復元図を付けてみますので見比べてください。
次にこれまで得られた情報でこの古墳を評価してみましょう。筑後川流域には無数の彩色系装飾古墳が築かれていますが、何故か右岸にはほとんど見られません。
これまで見つかったものとしては 筑前町の「仙道古墳」、「砥上観音塚」だけですね。少し遠くに、鳥栖市の「田代太田古墳」、筑紫野市の「五郎山古墳」等もありますがこれらはむしろ南北交易路に関連する立地と考えた方が当てはまりがよいです。
すると「湯の隈古墳」は筑後川右岸における貴重な彩色装飾古墳として非常に重要になります。
そしてその文様構成は「仙道古墳」と並んで筑後川左岸の構成に近い幾何学文主体となり、左岸との深い関連性がうかがえます。
もう一つ検討すべきは2色目の顔料のことです。これまで「青(灰)」 (装飾古墳と文様)として扱ってきましたが、「緑」としている文献 (装飾古墳の世界) もあって錯綜しています。もし緑色とするなら、筑後川流域で使用例の少ない貴重な一例となるのですが、現状では文様までの距離が遠くて断定出来ません。
もし顔料が「緑」ならば、さらに深い考察の予知があるのですが、自分で見た印象としてはやはり 「青」 かな と感じています。
この地域での顔料使用の詳細な解説につきましては、別の機会に詳しく解説したいと思います。
湯の隈古墳は石室がほぼ完存している希有な古墳であり、室内に貯まった土砂を排出すればその下に新しい文様が発見される可能性もあります。さらに複室で雄大な石室構造は装飾を差し引いても大いに注目すべき存在であり、出来れば気密の高い密閉施設を設け、年に一回程度内部公開を実施するのが史跡の有効活用として望ましいと考えられます。
この古墳に関するこれまでの記事は ここ ここ ここ を参照ください。
画像を提供頂いた oobuta様ありがとうございました。 また、最近スカイトレッカー氏が記事に精密な画像を投稿しておられますので、そちらの画像とこの復元図を比較してご批評ください。私は自信が深まりました。
参考・引用文献
装飾古墳を守る会 福岡県装飾古墳白書 1978
小林行雄編 装飾古墳 平凡社 1964
朝倉町 朝倉町の文化財 2003
乙益重隆 装飾古墳と文様 講談社 1974
国立歴民博 装飾古墳の世界 朝日新聞社 1993