地方における横口式石郭の分布図 -第二ブレイク7- | 蕨手のブログ

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終末期古墳

東博に興味ある展示パネルが掲示してありました。

 大和 (近かつ飛鳥と呼ぶそうです) においては七世紀の古墳時代終末期に、高松塚古墳のような横口式石郭が盛んに作られるようになります。

ただし、この埋葬形式の地方における浸透はあまり盛んではありませんでした。

そのような情勢の中で、地方に築かれた数少ない横口式石郭は、中央政府との密接な政治関係・人脈の目安と考えられますね。

石室DSCF8022a左:福津市宮地岳古墳、右:同じく手光波切不動古墳の特徴ある石室、袖が不明瞭な巨石墳で、最深部が規模縮小して横口式石郭の形態をとる。特に宮地岳石室は長大で、の石室全長は23メートルにも及び、入室できる石室としては現在日本最長

 九州においては宗像の地に築かれた「横口式石郭」は七世紀当時の地域情勢を考える上で非常に重要ですね。

 特に宮地岳古墳は日本最大級の石室規模と豪華な国宝副葬品群を誇ります。

 記録に残る系譜は天武帝の妃を出し、第一皇子「高市皇子」の外戚となった「胸形君徳善」がおり、被葬者の重要候補者ですね。