蕨手のブログ

蕨手のブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!

画像管理が行き届いていたころの奥壁装飾壁画画像

 震災と原発事故の影響で今も厳しい状況が続く福島県の浜通り、実は装飾古墳が多数存在する地域でもあったのです。
 その中で極めて重要な装飾古墳でありながら、福島第一原発から僅か3㎞という位置にあるために、見学はおろか管理も極めて困難になってしまったものがあります。

 それが、今回紹介する清戸迫装飾横穴です。昭和40年代に小学校建設の折に発見されたこの装飾横穴は、文様の保存状況が良く、数多い具象文が全体で叙事詩的物語を展開しているとも言われ、非常に注目されていたものでした。

 さらに私の紹介が中断してしまっている福岡県筑紫野市五郎山古墳の人物像と非常に似たシルエットやポージングを持つ人物像の存在も、当時の九州と奥州の文化交流をうかがわせるものとして重要視されて、厳重に施設保存されていたものでした。

 しかし未曽有の大震災とそれに続く原発渦がすべてを変えてしまいました。幸い壁画の破損は免れたようですが、その後の経過は難しいようです。

 原発の直近にあるため今でも、周囲は2マイクロシーベルト程度の放射線量が続いているようです。
当古墳の近況が紹介されたのは一年半ほど前の記事でして、その後の状況を示す情報はまだ見つけていませんが厳しいことは想像に難くありません。

-------------------------------------------------------------------------------------------
原発近くの古墳壁画ピンチ 床に木の根、放射能汚染で立入り困難(2012年1月当時の新聞記事)


調査現状画像当時の調査風景(階段を上った崖上の施設が保存庫)とその時の壁画の状態(壁画自体に大きな劣化は見られない)

 冠をかぶる人物などが描かれた壁画古墳で、福島第1原発から3・5キロしか離れていない福島県双葉町の国史跡、清戸迫(きよとさく)横穴(よこあな)で、草木の根が壁画近くまで伸びながら、原則立ち入りが禁じられた半径20キロ圏内の警戒区域のため、手つかずとなっていることが分かった。町教委が昨年9月末に状況を確認。町教委は17日、除去作業に入る予定だが、被曝(ひばく)を避けるため時間は数十分に限られ、迅速な作業が求められそうだ。 

 同古墳は7世紀の築造で、岩盤をくり抜いた埋葬空間(長さ、高さ各2・6メートル)の奥壁に渦巻き文様や馬に乗る人物などが朱色で描かれ、良好な状態で残っている。入り口に保護施設を設けて外部と遮断し、壁画を保護してきた。

 しかし、東日本大震災による原発事故で、住民や町職員らが町外へ避難。昨年9月末、町職員が許可を得て調査したところ、保護施設や壁画の損傷はなかったが、床面に長さ1メートル以上の根が伸びているのを確認した。根は壁画まで1メートルに迫り、さらに伸びれば壁画に付着しそうな状況だった。

 調査時の放射線量は、屋外で2・47マイクロシーベルト、横穴内は10分の1程度だった。この日の双葉町内での作業時間は計3時間程度だったが、他の文化財の状況確認も必要だったため、根の除去には至らなかった。
 町教委は2011年12月8日に再び現地に行ったが、保護施設の扉の鍵の不具合で中に入れなかったため、改めて許可を得て、1月17日に除去作業に入ることになった。担当者は「2~3月は雪が多くなり、その前に根を除去して対策を考えないといけない」と話す。
-------------------------------------------------------------------------------------------
IMG図面
日下八光画伯による精細模写と復元図

 図文の構成はまず中央に大型の渦巻き文(奥州では同心円文に代わり良く描かれる)を中心配置しています。その末端は右の大型の人物像の右肩に接しています(その意味は諸説あり)

 その人物は冑のような帽子を被り、髪を二股に結い、腿の膨れたズボンを履き、右手を腰に当て左手を遠くを指し示すようにかざしています。その右には馬に乗る子供のように小さな帽子をかぶった人物像があります。

 渦巻きの左には若干細身でミズラ頭をした人物がやはり幅広のズボンを履き、踊るように描かれています。

 これらの主体文の周囲には動物が五頭と弓を射る小さな人物、放たれた矢が描かれています。動物の内右側の三頭は鹿と思われ大きい一頭は立派な角を持っています。
鹿と対面する隣の一頭は猟犬と思われ、小人物が放つ矢は鹿の方に向けられています。
左端の動物は頭部が不鮮明ですが、シルエット的に太めで、牛の可能性があると自分は考えています。

 全ての人物像は同一人物の被葬者を示しており、彼の少年時代から青年、壮年期までの生き様を一代記として示す叙事詩的壁画であるとの説もあり、大変興味深いものです。
 また、最大の人物像のポーズは福岡県五郎山古墳の人物像に見られるポーズと非常に似通っており、遠く離れた装飾古墳の文様関連性も議論になっています。

 何れにしろ、当時の服装の詳細や獣種がハッキリ見分けられるようなきめ細かい写実性高い描き方は、類例の少ない貴重な壁画です。

 いつの日かこの地域を訪れて各地を探訪することを夢見ていましたが、おそらく私が生きている間に見ることは叶わないかも知れないと危惧しています。

 何とかして除染が進み、保存が継続され、10年後でもよいから公開されることを夢見て日々を暮していきたいものです。