映画「真珠の耳飾りの少女」のお話 | 明るいワラビネーゼの生活

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自称ご近所に住む漫画家北川玲子/きたがわれいこが、毎日のちょっとした出来事や楽しみごとを書いて見ました。
週末は長年習っている大人のクラシックバレエのことを4コマ漫画にしてアップしています。

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今度は映画のほうのお話

実は絵を見に行く前にこの映画
見ていたんです

「真珠の耳飾りの少女」のモデルになった少女が主人公で
フェルメールと、この絵ができるまでのお話

といっても
前に書いたとおり
フェルメールは日記や手記、手紙の類は残してないので
実話としてのフェルメールの物語はないのです


この映画はまったくの創作


でも創作の力って


すばらしいですよね


ほんとうの出来事のように思えるようなお話で


実際にこうだったのではないかと思わせるような
すてき・・・だけど哀しいお話です


映画の世界ではこの絵のモデルはグリートという
フェルメールの家に奉公に来た少女です


瓦絵職人の娘であるグリートは、その隠された
絵ごころと絵を愛する心で
主人のフェルメールと心を通わせます


わたしがこの映画の中で一番好きなシーンは
フェルメールの屋敷に来たばかりのグリートが
誰もいない主人のアトリエに迷い込み

完成した「真珠の首飾りの少女」の絵を
偶然見つけた時、ふっと微笑んだ

その表情


絵を愛する人はきっと誰でも
いい絵を見た時は
こんな表情になるんだろうなと


(以下ネタばれあり)

「真珠の耳飾りの少女」



この絵を見た人は画家の、モデルへの愛情を
感じずにはいられないでしょう


でもそれはどんな愛情でしょうか?


映画の中でのフェルメールには
裕福は階級の妻がいて
彼女は夫とグリートの心の通いあいに嫉妬します


わたしはこの映画を見た時
森瑤子さんが小説の女主人公に

「わたしは夫が彼女と
肉体関係があることには
嫉妬しない。

私が嫉妬するのは
夫がわたしより
彼女と心を通わせていることだ」


というような意味のセリフを
言わせているのを
思い出しました


映画は多くは語りません


結果として
フェルメールはグリートを選びません
グリートは彼と一線を越えることなく
妻と彼をうばいあうようなことにもならず
絵が完成した後、屋敷を出て行きます

身分が違うから
でしょうか?

わたしは
フェルメールが愛していたのは
絵の世界の中のグリート

彼が愛していたのは芸術で

妻でもなく

そしてグリートはそれがわかっていたのでは?


嫉妬をあられもなく
夫にぶつける奥さんに較べて

画家が自分を愛していると
思い込むには
彼女は賢すぎたのではないでしょうか


グリートがフェルメールの家を出て行くシーンでは
涙でした


どんなに崇高な愛でも肉欲の愛にかわらなければ
彼女の居場所はないのです


しかし


フェルメールを演じるコリン・ファースが
かっこいい!!


コリン・ファースって

そんなにかっこいいと思ったことなかったんですけどね


フェルメールが寡作だったのは
生活のために描く必要がなかったから
という説がある、と書きましたが


映画の中では、完璧主義者で
依頼主に迎合しない
気難しい画家として描かれています


とはいえ

映画はあくまで、
あくまでフィクションですが


フィクションですが
この絵を描いたフェルメールも


モデルの少女も

何百年前
実際に生きていた人だったことは
たしかで


何の名前も残さなかった
この少女が

何百年後の今
わたしたちを魅了すると思うと


いっそう絵がいとおしく見えます




マウリッツハイツ美術館展は
来月までですが


もし余裕のある方は
映画を見てからいかれてはいかがでしょうか


いや、映画を見たら

絶対絵を見にいきたくなりますって


映画と原作はこちらから


映画はずいぶん前にでたので
ツタヤでも旧作扱いで借りられます

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