<過去のハガキ絵・教室の作品>
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今日もおかげを頂きました、感謝、感謝です。
曇り空、小雨が降っています、13時のご祈念参拝&御理解を頂き、後、いつもの公園へ軽くお散歩、スーパーで食料調達して早々に帰宅。
自己体温、36.4℃で平熱、元気です。
現在、曇り、気温25℃、最高25℃、最低気温21℃、日の入りは19時32分、夜は雨の予報。
天と大地と御霊様へ拝礼。
今日の御理解・教典-535頁-
理解 Ⅱ 近藤藤守 19-1
17. 「明石(あかし)で烏(からす)をおとりにして雀(すずめ)を捕(と)っていました。
杭(くい)を打って烏をつなぎ、その前にえさをまいて、烏がいるからと雀が安心して来たところを、かすみ網(あみ)をかけておりました。かわいそうなことをすると思いました」
という話を申しあげたら、
「かわいいと思う心が、そのまま神である。それが神である」
と仰せられた。
※ ご参考、2021年3月13日、2014年9月24日、2013年12月26日、2011年2月14日。
<教会長先生、御理解>
何度も申しましたように、教祖が仰せられる「かわいい」とは、この地方の方言であり、「かわいそう」「不憫である」という意味です。
(金光真整談)。ですから、近藤氏が「かわいそうなこと」と言われたのに対して「かわいいと思う心」とおおせられたのです。
神様のお心である「神心」とは、人間氏子への深い情愛が込められています。
兵庫県の奥平野教会初代である、片島せん という先生は、お徳が高く、神様が受け返答されるので有名でした。
神様の御指示でお道の教師となられ、門外不出で お取次ぎの御用をしてありました。
ある時、夜も更けて信徒のお参りもない時に神様に、「自分はこうして外に出歩くこともできず、あなたの御用をさせていただいていますが、私は本当は旅行好きで世間を見て歩くのが大好きなのです、どうぞ、そのことをお許し下さい」
と願われました。
すると、御心眼に、「月明かりに照らされた大海原の光景」を頂擦れました。
そして神様が、「これが長崎沖の玄界灘ぞ」と仰せられました。
そして、そんな感じで、次々と日本の風景を見せて下されまして、それで、片島師が最後に「日露戦争を見せて下され」と願われました。その当時、日露戦争の真っ最中だったのです。
すると神様は、「戦場は氏子が哀れで見ておくことができぬ」と仰せられたそうです。
私はその話を聞いたときに、「ああ、やっぱりそういうお方なのだ」と思ったことでした。
一方で「お知らせ事覚帳」には、明治6年4月4日のお知らせに、「何事もみな天地乃神の差し向け、びっくりということもあるぞ」 とあって、何事もみな、すなわち世の成り行きは天地の親神さまの差し向けであると示唆されてありますから、そのお心のすべて量り知りえぬことです。
人間にとっての難儀も差し向けと言えますから。
けれども、今日の御理解から言えば、決して喜んでしてあるのではなく、やむにやまれぬことであり、氏子が不憫、かわいそう、という情感がそこにあふれていることを知らねばならないでしょう。
いつか書きました5歳の子が死んだ渋谷力造さんが お礼参拝された時の話を、ここでまた書きましょう。
「この道に信心したら子が死ぬということはないと教祖さまは仰った。それなのにうちの子は死んだ。これは、神様としても よくよくのことであろう。何か大きなご都合があったのであろう。これはもう、特別のことに違いない。いわば広大無辺のお計らいであり、広大無辺のおかげを頂いたのである。それでお礼に参った」と。
すると教祖さまは、「それはかわいそうなことをした。心配するな。代わりを授けてやる」
と仰せられたのですが、これはそのまま神様のお言葉でありましょう。
情感あふるる神様であることを知りたいものです。
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『おかげは和賀心にあり』。
只今、修行中、和楽美・拝。