<田んぼの中のマガモのペア>
<シマヘビ・カラスヘビ>
<モンシロチョウ>
<・・・・・・・>
今日もおかげを頂きました、感謝、感謝です。
朝からいいお天気です、13時のご祈念参拝&御理解を頂き、後、早々に帰宅。
自己体温、36.5℃平熱、元気です。
現在、晴れ、強風、気温21℃、最高21℃、最低気温13℃、日の入りは19時12分。
天と大地と御霊様へ拝礼。
今日の御理解・教典-673頁-
理解 Ⅱ 福嶋儀兵衛 12-4
12. その年、再度御本社(おんもとやしろ)に参拝した時、金光様は、
「助けてくれと言って来ても、拝んであげましょうとは言うな。そなたがおかげを受けていることを話して聞かすだけにせよ」
と仰せられた。
「何事にも実意を立てぬけ。信心をもとにして辛抱(しんぼう)をせよ。そのうちには世の中も広くなっていくであろう。天地の神様は、天地の守(まも)り神、氏子は守(も)り役である。神の中の神である。何も案ずることはない。天地金乃神様、と一心にすがっていけ。金乃神様、と一心にすがっているからといって、ほかの神仏を おろそかにしてはならない。残らずの金神様とあがめて拝礼するがよい。残らずの金神と申さなくても、みな様と申して拝んでもよい」
と仰せられた。
※ ご参考、2024年2月20日、2023年6月9日(totoro1145のブログ)、2019年10月22日、2018年10月4日、2018年2月28日。
<教会長先生、御理解>
教祖さまが信徒に下げられた書付には、天地書附以外に神名書付というものがあります。
そこには天地三神の御名とともに、必ず、「のこらず金神」とあります。
いったい残らず金神とは何なのかが分かりませんでしたが、ここでは、「わかの神仏をおろそかにしてはならない。残らずの金神様とあがめて拝礼するがよい。残らずの金神と申さなくても、みな様と申して拝んでもよい」 とあります。
そして、この御理解以外にも、
「天地金乃神と拝礼しても、その次には、残らずの金神様とあがめまつって拝礼しなければならない。みな様と申してもよい。(理解 Ⅱ 市村光五郎の伝え・2)」 とあります。
ですから、「残らずの金神様」とは、ほかの神仏の みな様、ということになります。
教祖さまというお方は、実意丁寧なお方ですね。
あらゆる神々様にも落ち度なく行き届いたお心をつかってありますことが分かります。
それもただ油断のない真心だけでなく、次のように道理をもって、説いてあります。
「伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美命(いざなみのみこと)も(元は)人間、天照大神も人間であり、その続きの天子様も人間であろう。宗忠の神(黒住教祖)もおなじことである。
神というけれども、みな、天地の神から人体を受けておられるのである。
天地の調えた五穀をいただかねば命がもつまい。さうしてみれば、やはりみな、天が父、地が母であって、天地金乃神は一段上の神、神たる中の神であろう。(理解 Ⅱ 市村光五郎の伝え・2)」 と。
そして、
「どの宗旨も くさすことはない。みな、天地の神様の氏子である。あれこれと宗教が分かれているのは、たとえば同じ親が産んでも、大工になる子もあり 左官になる子もあり、ばくちを打つ子もあり 商売好きな子もあるというようなものである。
みな宗教が分かれていると言っても、天台でも法華でも 天地の神様の子で分かれているのである。(理解 Ⅱ 佐藤光治郎の伝え・14)」 と仰せられるのです。
どうして、この神さまは 宗旨嫌いをされないのか。
そこを道理をもって知っておかねばなりませんね。
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『おかげは和賀心にあり』。
只今、修行中、和楽美・拝。