<バラ園の薔薇>
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<バラ園へ通じる橋>
今日もおかげを頂きました、感謝、感謝です。
朝からいいお天気です、13時のご祈念参拝&御理解を頂き、後、役場のリサイクル置場へ古新聞持ち込み、その足でいつもの公園へお散歩・4.800歩、バラ園へも行ってみました、多くの人が楽しんでいました、スーパーに立ち寄り帰宅。
自己体温、36.5℃で平熱、元気です。
現在、やや曇り、気温19℃、最高22℃、最低気温13℃、日の入りは19時10分、後、19時頃晴れの予報。
天と大地と御霊様へ拝礼。
今日の御理解・教典-707頁-
理解 Ⅱ 森政さだの 11-1
8. 祓(はらい)、心経(しんぎょう)ではおかげは受けられないから、わが心の一心でおかげを受けよ。
祓、心経ではおかげを受けられるのなら、太夫(たゆう)、山伏(やまぶし)はみな、おかげを受けそうなものであるが、そうはいかない。
※ ご参考、2022年4月18日。
<教会長先生、御理解>
教祖さまは既成の宗教儀礼を とことんひっくり返して行かれるお方ですよね。
文化庁が毎年発行する「宗教年鑑」というものがあります。それには冒頭に、
「日本人は、かって本居宣長が『尋常ならず すぐれたる徳(働き)のありて畏むべきものをカミと云ふなり。(古事記伝)』としたように、神秘で畏敬の念を抱かせる存在を広く神として信仰の対象としていたといわれる」
とあります。
ですから、これが日本人の昔から続く神認識なのです。
今日でも、優れた技能を顕す人などを「神」と称えたり「神業(かみわざ)」「神対応」と、「神」という言葉を多用するのも、今に続く認識なのでしょう。
それが明治の時代となって、西洋文化がドウっと入ってきます。
とりわけ日本人の知識階層の人々への影響には大きなものがあり、やがて人々の信仰観念、神認識も変化していきます。
すなわち、金光教祖のお血筋である金光真整先生(三代金光摂胤さまの御次男)も次のようなお言葉を残してあります。
「神さまといったら、われわれはすぐ全智全能の神、天地創造の神、離れた所にいて支配しておられる神」という概念は、およそ それまでの日本人の認識とはかけ離れています。
なにしろ、日本人にとって神とは生活に密着した ごく身近なお方であったのです。
たとえば、井戸の神様、かまどの神様、田の神、山の神、川の神、海の神、日の神、月の神と。実際に人間が生きることに欠かせない恩恵をもたらすもの、まさに「すぐれたる徳(働き)のありて畏むべきもの」と考えられていたのです。
天上のどこに おられるか分からない、絶対の全智全能の支配者はあまりにも かけ離れている存在ですが、西洋文明に圧倒された人々が否応なしに観念として植え付けられていった結果なのです。
教祖さまは、それまで仏教のために大地は「穢土」「地獄を有する場」という観念となっていたのを排して、天と地の恩恵を懇々と説かれました。 すなわち、
「その時の天地のお恵みについての み教えは、一言一言が胸に突きささるようにこたえて、たいへんに感激した。(理科 Ⅱ 山本定次郎の伝え・2)」とあるようにです。
難儀な人々を救うこととなった御取次も、ただ神様に祈りお届けするのみならず、必ず天地の御恩恵を理解申して聞かせておられました。
「天地金乃神と申すことは、天地の間におっておかげを知らず、神仏の宮寺社、氏子の屋敷家宅建て、みな金神の地所(明治6年旧8月19日おしらせ)」「信心はせんでも、おかげはやってある。(理解 Ⅰ 市村光五郎 1・2)」 とあるように、知らず、分からず、ではなく、それを知ってお礼が言えるようになることこそ、天と地と人との正常な関係となると言えましょう。
それこそ、一人助ければ一人の神、と言われます。
こうして、お取次ぎをされて人を助けていかれた教祖さまの直信の人々も、生きながらの神となっていかれたのでした。
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『おかげは和賀心にあり』。
只今、修行中、和楽美・拝。