<公園のユリカモメ、オオバン、ヒドリガモ、マガモ>

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 今日もおかげを頂きました、感謝、感謝です。

朝からいいお天気です、13時のご祈念参拝&御理解を頂き、後、いつもの公園へ確認の為軽くお散歩して、早々に帰宅。

 自己体温、36.6℃で平熱、元気です。

 

 現在、やや曇り、気温14℃、最高15℃、最低気温9℃、日の入りは18時28分、後、曇りの予報。

 天と大地と御霊様へ拝礼。

 

 

今日の御理解・教典-269頁~270頁-

 理解 Ⅰ 荻原須喜 8-2

 

8. ますます、ありがたしと信心していたが、明治8年9月に参詣した時に、金光様が、

「丑(うし)の年(須喜)、親のもちかえはできぬものじゃからのう。親を大切にしなさいよう。来年の4月21日に丑(うし)の年(利喜三)が安心のおかげをいただくぞ」

と仰せられた。

そこで、「父も来年の4月21日までの寿命(じゅみょう)かな。大切に大切に」と家内中その心を忘れず、何かと注意してできるだけ大切にしていたが、その年も過ぎ、正月も2月も3月も過ぎ、4月になり、4月21日になっても何の変わった様子もなかった。

「金光様の仰せに百に一つの間違(まちが)いもないのだが、このことばかりは違うておった」と、

その朝、夫婦語り合うていたが。利喜三は村内の高原松之助さんと大話をしながら、裏の菜園で種をまいていた。

それがすんだのが午後2時ごろで、松之助さんは帰り、利喜三は家に入って、「お須、少し気分が悪いから、お茶を一杯(はい)持って来てくれ」と言った。

私は聞くより早く、宙を飛んでお茶を持って行ったが、そのお茶を飲む間もなく、ううんと後ろへそって、そのまま亡くなった。

先に源兵衛お授けの時も少しも違わずお授けになり、この度、利喜三のお引き取りも一分()一厘(りん)違わぬが、ただ単に違わずに前から わかるだけではない。

神が人を造りも殺しもし、あるいはまた病気も差し向け、快癒(かいゆ)もさし、神が自由自在にしてござることを思わしていただく。

 

※ ご参考、2021年1月13日、2020年3月26日、2019年6月12日、2018年3月25日、2017年6月25日。

 

 

<教会長先生、御理解>

 「神が自由自在にしてござる」と。ここに合楽理念との接点を見出します。

教祖の仰せが一分一厘間違いないことから荻原須喜さんの感想ですが、この二年前に神様が、

何事もみな天地乃神の差し向け。びっくりということもあるぞ」とお知らせくださったことにも通じることです。

 

拝詞の神徳賛詞の中に、「神量(かんはか)らいは奇しくて 人の思いぞ及ばざる」とありますが、まさに天地の神様のはからいというものは、結局は人間に知りて知り難きことでありましょう。

それでも天地の親神さまの大愛を信じるところから、「一切が神愛」との究極の答えが導かれるのが、合楽理念なのです。

それは、これ以上深めることも、高めることも要らない、信心の奥処(おくが)なのです。

それがそうだと分かるためには、先ず神様がどういうお方かを知っておかねばなりません。

 

教祖さまは、「天地の親神さま」「一生死なぬ父母」「お母様」など、いろいろと表現されましたが、それもこれも、皆、神様がどういうお方であるかを真に理解することが先だからです。

そして、その上で、神愛を神愛とわかる境地に入っていくことになります。

そういう信心の佳境も辿るのが お道の信心というものです。

 

 

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おかげは和賀心にあり』。

 

   只今、修行中、和楽美・拝。