<公園のユリカモメ>
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今日もおかげを頂きました、感謝、感謝です。
曇りのち晴れのお天気です、13時のご祈念&御理解を頂き、後、いつもの公園へお散歩・4.100歩で帰宅。
自己体温、36.6℃で平熱、元気です。
現在、晴れ、気温6℃、最高6℃、最低気温2℃、日の入りは18時15分、最大風速は8m/sです。
天と大地と御霊様へ拝礼。
今日の御理解・教典-318頁-
理解 Ⅰ 佐藤範雄 5-5
6. 戸手(とで)村の倉田大二郎の長男が、「神というものは性根(しょうね)のなきものなり。お祓(はらい)の詞(ことば)は幾度(いくど)読むも一つことなり。一度読みたら覚えておればよい」と言うに、教祖答えたまう。
「しからば、人の親たる者は、子供が二つ三つの時、父さんお早うと一度言うたら、死ぬまで朝暮(ちょうぼ)の礼儀(れいぎ)をせんでも覚えておりそうなもの」
※ ご参考、2021年6月4日、2020年9月13日、2019年12月15日、2018年7月9日、2017年9月3日。
<教会長先生、御理解>
「とかく信心は真の心で、親に孝、人に実意丁寧、家業を大切にし、神仏を粗末にしないように。(理解 Ⅱ 斎藤重右衛門の伝え・1)」 というのが、教祖さまの日頃からのお考えでしょうから、このようにお答えなさいましょう。
親への「朝暮の礼儀」と仰ってありますが、親の養育を受けて育ってきた自分です。
当然のこと、親への礼儀としては当たり前のことでしょう。
いつも、金光教は宗教というよりも、信心とか信仰というよりも、万物の霊長たる人間として、至極当然の生き方を教えるのが金光教だよ、と申しております。
つまりは人としての真を説くということなのです。
昨日の御理解から言えば、「世話になれば、礼を言わねばなりません」なのです。
もっと言えば、
「多くの人の中には、私は天地の親神様と言うて拝まんが、それでもさしつかえはない と言う人もある。これは恩を受けて恩知らずという者である。(理解 Ⅰ 山本定次郎の伝え・61)」
ということなのです。
教祖さまがどうしてこのような発想をされるようになったのか。やはり、少年時代の手習いという教育のおかげでありましょう。
合楽教会初代も、よく、「子供の頃から宗教情操教育というのが要るね」と仰ってありました。
人としての真・真心というものの大切さを、小さい時から習うような仕組みが出来ねばならないでしよう。
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『おかげは和賀心にあり』。
只今、修行中、和楽美・拝。