どうも、わらびです。

夏、という事で新たに前回同様こーりやさんに夏Verのアイコンを描いていただきました。KYAWAII。

 

それはさておき今回は道ネタ。梅雨といえば水害。鹿児島の水害といえば鹿児島市街地を流れる新川(田上川)。

そして新川といえば2013年に完成した西之谷ダムです(!?)。

そんな比較的新しい西之谷ダムにも他のダム同様沈んだ道路があり、今回はその道路…の沈んでいない区間を探索しました。梅雨の時期にダム湖に入れる訳もないので仕方ないネ。。。

 

===↓他の西之谷地区探索はこちら===

 

広坂旧道(旧街道に繋がる西之谷地区の旧道)

 

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地図緑線が今回取り上げる道路、一部がダムに沈む事により本来の役割を終えた旧道です。

場所は西之谷ダムのすぐ上流側。地図の下側すぐのところに西之谷ダムがあります。

 

旧道探索の前に西之谷ダムの堰堤に立ち寄ります。

西之谷ダムは鹿児島市内有数の暴れ川である新川(田上川)の上流に建築された完全な治水用のダムで、普段は水を貯めていない事が特徴です。

 

堰堤横の駐車場には事業説明等の看板が立っていました。

地図右側の枝迫橋付近が今回探索する旧道。

 

事業の背景が記された看板。

ちなみに西之谷ダム、新川のダムとされていますが厳密には田上川のダム。

田上川/新川は同じ一続きの川ですが、田上の美尾崎のあたりを境に上流側を田上川、下流側が新川と名称が変わります。

元々は現在の鹿大付近を流れていた下流部を、美尾崎のあたりから分岐していた水路(現在の新川)に付け替えた事が名前の由来とされています。

単純に行政が間違えたのか、それとも洪水=新川というイメージから分かりやすいように新川の方の名称を採択したのか。

 

ダム造成前の西之谷集落の写真。

 

このあたりの旧道を今回は探索していきます。

中央の橋がタイトルにもなっている枝迫橋です。

 

工事中の写真。ダムに沈んだ区間の旧道が写っています。

 

堰堤付近から見たダム湖。梅雨で雨が続いた後の日に来たのですが、驚くほど貯水していませんでした。

緑緑したダム湖底に今回の旧道と一続きの区間があったはずですが痕跡は見つけられず。ダム造成に伴う掘り下げ等によって破壊されダム湖区間の旧道は原型を留めていません。

 

前置きがずいぶん長くなりましたが本題の旧道へと向かいます。

写真の道路は市道西之谷中央線。ダム湖に沈んだ旧道に対する現道、ダム付替え道です。

 

現道から分岐した幸来橋を渡り、更に脇道の坂(写真の坂)に入ったところが旧道。

元々はこの道路が西之谷ダムのあたりまで続いて現道と合流していました。ギリギリダム湖の手を逃れた数百メートルの旧道区間も生活道路としての役割を現道に託し、現在は西之谷ダム併設の憩いの場の園路に転用されています。

その為現在は一般車両は侵入できません。

 

そんな旧道に残る生活道路時代からの構造物、それが枝迫橋です。

幸来橋袂の坂を下った先で田上川と交差する地点に架けられています。

 

枝迫橋は普遍的なコンクリート製の桁橋。

 

新川と刻まれた銘板と橋に並行した水道管。どうやらダム自体の完成以前から新川として誤用されていたようです。

 

昭和52年3月竣工と記された銘板。

それ以前よりすでにこの場所に何かしらの橋は架かっていました。その為現在の橋は何代目かのものと考えるのが自然です。

 

車道として十分な幅。

 

橋から見た田上川上流側。

雨の後なので濁っています。普段はもうちょっと綺麗な川です。

 

下流側の風景。

奥に見える橋は現道の夢見橋。

 

欄干(ガードレール)の一画の下に安置されている謎の石柱。

境界杭の一種が移設されたものでしょうけどなぜここに。。。鹿児島市とでも刻んであったんでしょうか。

 

ガードレールによって読めない銘板。「えださこばし」とか「えださこはし」とか刻んであったと推測。

写真を撮り忘れたのですがもう一枚銘板がありそちらには「枝迫橋」と刻まれていました。

 

橋より先も若干緑に侵食された旧道が残っています。

 

川岸に立てられている迫真の「我が故郷よ、よみがえれ!!」看板。想い伝わるいい看板ですナ。

田上川の源流域には北部清掃工場があり、現在はその排水路としての役割も担っています。工場側で処理等がきちんとされることもありその影響は限りなく小さいとは思いますが、それでも多少の汚染があっても仕方ありません。

 

草に覆われたカーブミラーの残骸。

旧道が車道として利用されていた痕跡です。

 

旧道は車道だった頃の趣を強く残しています。

現道は写真右の築堤上です。

 

ふと川側の茂みの中に何かを発見。

 

なんとも苔生した小さな廃橋でした。

実は枝迫橋と同様に旧道が現役だった頃からのモノです。当時の航空写真を見るに対岸の畑か何かと旧道を結んでいたようです。

現在は通行できません。

 

橋の先で道は開け、並行する田上川がはっきり分かるようになります。

この写真の右側にはかつて二車線規模の別の道が接続していましたが、廃道化され盛土に埋められたため痕跡はありません。

 

梅雨の雨で濁った田上川。

全く関係ないですがこういう川のカーブに完全に並行した道路の風景がたまらなく好きです。

 

写真右側から田上川に合流する小さな水路と現道の橋(広坂橋)。

 

やがて田上川は旧道を離れ写真奥のシラス崖沿いを流れるようになります。

見えている橋は親水公園の絆橋。公園整備時に新規に架橋されたものでこれといった歴史はありません。

 

田上川と別れたあたりで旧道は公園にぶつかる形で突然と姿を消しました。

旧道はここで急坂となり現道に接続していましたが、現在坂は築堤の一部となり消失。

 

旧道脇に残っていたブロック塀。旧道になる前のものなのかは不明。

 

公園内にあるシラスの案内看板。

 

現在の鹿児島市街地の地盤の大部分を形作っているシラス。

 

旧道の坂は写真正面あたりにありました。

痕跡はなし。

 

旧道合流後の現道。

この先は萩別府地域に繋がっています。

 

今回はここまでとします。

 

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広坂旧道(旧街道に繋がる西之谷地区の旧道)

 

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