どうも、蕨です。

今回は長野まで足を伸ばしてまいりました。一生に一度は乗ってみたかったJR飯田線を完乗した際の寄り道探索です。

諏訪川を起点とした大きな川、天竜川。その平野部と渓谷部の区切りとなる場所にあるのが国指定名勝の天竜峡です。

そしてそんな天竜峡には4代に渡る歴史を持つ橋があります。

 

地図中央にデカデカと居座る姑射橋が今回探索した橋。

JR飯田線の天竜峡駅から徒歩五分ほどの場所に架かっています。

 

名勝 天竜峡。

暑いくらいの快晴を天から受けながら探索を開始します。

 

天竜峡上流側の天竜川。

天竜川はその途中まで中央構造線と並行する形で流れている事が特徴です。

 

川の方へと進んですぐのところに姑射橋は架かっていました。

左の橋が四代目姑射橋、右は歩道橋として後から架けられた橋(姑射橋)。ここでは紛らわしいので姑射歩道橋と呼びます。

 

四代目姑射橋と「天竜川」と書かれた銘板。

川床からの高さに反して不安になるような低さの欄干をしています。

昔の阿蘇大橋みたいな赤さをしていないのが幸いか。

 

「姑射橋」と書かれた銘板。

橋の名前は元々は左岸側の地名に準えた太田橋でしたが、後に藐姑射山を由来とする現在の名前に改称されました。

 

四代目姑射橋の銘板その三。「昭和46年3月」と書かれています。

三代目橋は現存していれば土木的価値が十二分にあった美しいコンクリートアーチ橋でしたが、昭和30年代の洪水時に防災の観点から架け替えを余儀なくされました。

橋の下を通る天竜舟下りなども行われていた為こればかりは仕方がないですネ。。。

 

今度は右の姑射歩道橋へ。

こちらは前述の三代目姑射橋と同じ場所に架けられています。

 

「姑射橋」の銘板と龍のオブジェ。

余談ですが三代目橋の一部の親柱は近くの小学校の校門に転用する形で保存されています。

模範解答みたいな土木遺産の保存方法。鹿児島にも見習ってほしい。

 

「天竜川」の銘板。

 

姑射歩道橋は観光に重点を置いた見た目をしています。

 

姑射歩道橋から見た四代目姑射橋。

四代目姑射橋は(たぶん)ランガー形式のアーチ橋。

 

姑射歩道橋から見た天竜川の下流側(天竜峡)。

いかにもな渓谷の風景。

ちなみに二代目姑射橋は吊り橋で三代目姑射橋のすぐ下流側に架かっていたと思われます。

初代姑射橋は木橋(土橋)で明治10年架橋。

 

姑射歩道橋の竣工は昭和61年。四代目姑射橋よりも10年以上後の架橋です。

 

「こやきょう」。姑射と書いてこやと読むのはなかなか初見では難しいところ。

 

姑射歩道橋の脇より遊歩道があり、そこから下に降りてみることに。

一段下から見た姑射橋。

姑射歩道橋の下にある岩の上あたりに三代目姑射橋の下部アーチの端がありました。

 

天竜峡と天竜舟下り。

 

姑射歩道橋の橋台。

明らかなラーメン構造になっています。

 

河川許可標。

 

真下から見た姑射歩道橋。

 

下を見ると、川のほんの一段上の岩に円形の窪みがあることが分かります。

これは初代もしくは二代目姑射橋の柱用の窪みの痕ではないでしょうか。写真では一つですが写真の外の右側にも同様の窪みがありました。

 

四代目姑射橋を下から見た風景。

鋼といった感じの見た目。防災(水害)を念頭に置いて設計されたそうです。

 

四代目姑射橋の橋台。The Simple。

凡そ観光地とは思えないほど無骨なデザイン、嫌いじゃないです。

 

ちなみにこちらは宮崎県高千穂峡に架かる高千穂大橋。

こっちもよく見たら無骨でした。皆もっと九州遊びに来てネ。。。(そしてもっとお金落としt…

 

話を姑射橋に戻して。

この中に四代に渡る橋の痕跡が眠っていると思うと興奮しますネ。

 

下流側にある謎のコンクリート擁壁。

あれはなんでしょ。仮橋の橋台にしては低すぎる…謎です。

 

上流側から見た四代目姑射橋と姑射歩道橋。

こうやって見ると意外と川床から近い場所に架かっています。

 

下流側から見た四代目姑射橋と姑射歩道橋。

 

近くの案内看板には初代姑射橋の写真が載っていました。

 

観光案内所にあった絵。奥に初代姑射橋と思わしき橋が描かれています。

 

同じく観光案内所にあった貴重な写真三枚。

昔は川沿いに下る道があったそうです。

 

飯田線の次の列車までの待ち時間で軽く立ち寄ったのですが、思ったより面白い橋に出会えました。

今回の探索はここまでとします。