どうも、蕨です。

しばらく鹿児島を離れ遠くに出張に行きます。その為今後は鹿児島以外のネタが増えるかもしれません。

出張ハアマリニモ面倒…面倒ジャナイ?

 

それはそれとして今回も引き続き熊本の八代ネタやっていきます。今回までやって今後一旦出張先ネタになりそうですねー。

大鼠蔵はしばらくネタ庫に眠っててもらいましょう…。

 

===↓他の八代探索はこちら===

 

小鼠蔵(干拓で陸続きになったかつての離島)

白島(干拓で陸続きになったかつての離島。八代城の城壁の採石地)

産島(古墳や貝塚の残るかつての離島跡)

小島(産島跡の近くに残る小さな離島跡)

国道219号 球磨川橋梁旧道(球磨川橋梁をくぐるかつての国道)

 

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今回探索するのは、日本三大急流の一つである球磨川に架かっていた旧・萩原橋とその旧道です。

国道219号の旧道であり、かつては薩摩街道のバイパスの役割を担う街道の一部でもありました。

現在は上流側に新萩原橋が架橋され旧・萩原橋は現存しません

 

地図赤線が今回探索した旧道、ピンク線が未探索区間の旧道です。

また旧旧道としてオレンジ線の渡し(広い川に橋が架かる以前に船で連絡していた場所)がありますがそちらも未探索。

 

球磨川右岸側、国道219号線の萩原町交差点から探索を開始。

写真の場所で現道と旧道が分岐します。

写真右の雑に分断された感がプンプンする道が旧道。

 

旧道は明らかな旧国道の規格を持ったまま残されていました。

写真で見るよりずっと幅がありますヨ。

 

球磨川への突き当りで振り返り撮影。

残念ながら幅以外に旧国道を偲ばせる構造物はありません。強いて言うなら側溝?

写真右の止まれ標識の下にいるのが肥薩おれんじ鉄道のレンタル自転車。

 

旧道はそのまま球磨川にぶつかり姿を消します。脇に写るのは新萩原橋。

この写真の中に全て収まる形で旧・萩原橋は存在していました。

見ての通り、何の痕跡もありません。

 

一段下の河川敷に降り撮影。

橋脚の土台の一つでも残ってないかなーと期待しましたが、何もナシ。

ちなみに旧・萩原橋の竣工日と撤去日はどちらもはっきりしません。情報モトム。

ただ新萩原橋が供用された後もしばらくは残されていたようです。

 

河川敷。

旧・萩原橋は水害の際に度々通行止めとなり不便だったため、それを解消すべく新萩原橋が架橋されました。

 

新萩原橋全景。

旧・萩原橋は三桁のトラスを持つ車道橋でした。

大きな川に架かる橋や鉄道の橋でよく見るアレです。

 

河川敷から上がって元の道へ。

このあたりには前述の萩原の渡しもありました。

八代市街地を通る薩摩街道に対し、そこを避けて円滑に移動できるバイパスの別街道として利用されたのが萩原の渡しです。

 

旧道はかなり高さを盛られた場所に存在している様子。

大中河川の堤防の周りではよく見る光景です。

 

新萩原橋を渡って左岸へ向かいます。

普遍的な橋ですが、高所恐怖症にはなかなか怖い橋。

 

新萩原橋から見た下流側。この先で球磨川は前川と分岐します。

写真右側が前川です。

 

写真中央のあたりに旧・萩原橋の左岸側の取り付けがありました。渡しの左岸側もすぐ隣にあったようです。

その先は橋ではなく河川敷を進む道路でした。どちらも痕跡はなし。

 

左岸側には芝生広場があります。

一本だけ木が生えている後ろあたりを旧道は通っていましたが痕跡はなし。

 

球磨川の看板。

 

旧道の痕跡を求めて河川広場に降りてみることに。

豊原せせらぎ広場として整備されています。なかなかに心地いい空間です。

 

広場の近くから脇道に入ると、分断されていた旧道の続きを発見。

 

旧道の球磨川側。完全に新しい堤防によって切断されています。

 

旧道の南(地図下)側。

旧道は生活道路としての役割を失い、沿道の施設のアクセス路になっているようでした。

 

沿道の施設。工業系のなんかでしょう(適当)

 

そのすぐ先で旧道は広い道に合流します。

これ以降も旧道及び旧旧道は同じルートで南下しますが、今回の探索はここまでとします。

機会があればまたいつか。

 

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