ソシャゲの年末ガチャで爆死した男、蕨です。

今回は鹿児島県日置市に存在する国道3号線の旧道を探索しました。

JR鹿児島本線と立体交差する新道開通に伴い旧道化した区間になります。

 

地図赤線が今回探索した旧国道になります。

場所はJR鹿児島本線の東市来駅-湯之元駅間。

鹿児島市側の起点から見ると、国道3号線が線路と交差するのはここが初めてになります。

 

JR東市来駅側(地図南側)より探索を開始します。

旧道と現道の分岐点。右の坂道が現在の国道3号線です。

旧道はいかにもといった正面の道。

 

分岐地点は写真のような構造になっています。

旧道の方が若干自然な線形。

 

旧国道なだけあり二車線の快走路。

旧道には歩道はありません。

 

途中、写真右のような階段と分岐しました。

気になったので階段の先へ…。

 

石碑のようなものとよく見るアレがありました。

階段はここで折り返し、その先は国道へ続いているようですが今回は省略。

 

旧道へ戻り先へ進むと踏切があります。

JR鹿児島本線の踏切で、杉之尾踏切というようです。

現在の国道3号線の長里跨線橋が完成するまではこちらが国道と線路の交差部として利用されていました。

 

踏切近くには踏切アリの標識(電車タイプ)があります。

実はあまり見かけないプチレア標識の一つです。鹿児島ではほかに鹿児島市の坂之上等に機関車タイプの標識があります。

 

踏切の先の旧道はカーブを描いて小さな水路を渡ります。

橋というよりは暗渠・函渠に近い、ボックスカルバートになっていました。

開通当初は橋だったかもしれませんが今となっては資料が無いため分かりません。

 

線路と再会しカーブ。

直進して踏切を渡る道がありますが、こちらは現道(国道3号線)に繋がっています。

踏切の名称は杉ヶ迫踏切。

 

旧道脇にあった謎の構造物。

よく分かりません。水源のようにも見えますが…ハテ。

ちなみにこの辺、道脇に防空壕がいくつかありました。防空壕があると戦前・戦時中に道や土地利用があった目安になります。

 

旧道・現道・線路の風景。

現道に架かる橋は長里跨線橋で、1961年に架橋され現在の国道3号線の一部になりました。

 

謎の構造物2。排水路でしょうがなぜここに?

 

跨線橋の脇には写真のように旧道から分岐する道があります。

現在は工事で通行止めですが、狭い坂を上ると消防学校の前に出るようです。

現在の国道3号線が出来る以前の古道であり、先ほどの杉ヶ迫踏切と一続きの道だったと思われます(こちら側の古道は国道3号線用地となり現存せず)。

 

跨線橋より先は緩やかな下り坂となります。

国道らしい直線。

 

しばらく下ると道の両脇に建屋が並び始めます。

元々は農耕地でしたが1970年~頃から宅地に転用されていったようです。

 

道脇には湯之元温泉センターがありました。

湯之元はその名の通り温泉街です。薩摩半島全体で見ても規模としては比較的多きな温泉街で、最寄り駅のJR湯之元駅には各種特急・急行なども停車するほどでした。

 

途中偶然見つけた看板。

注目するべきは道の部分で、「旧国道3号線」と記載してあります。

現地で確認できた旧国道の証としては唯一のもの。

 

大里川に沿ったカーブ。

写真右には謎の施設がありました。名称がどこにも見当たらなかったのですがどうせ九州電力か水道施設かどっちかだと思います(適当)。

ちなみにここで左に分岐する道に入るとものすごいカーブと坂を経て現道付近に出れます。

 

脇道に入って撮った現道(国道3号線)。

とてつもなく深い切通を通っている事が分かると思います。元より谷はありましたが大部分は切り開いたものです。工事大変そう(小並感)。

写真奥に見えているのが湯之元の街。旧道とは坂を下りきった先で合流します。

坂の上と湯之元の町の高低差は約35m。工事大変そう(小以下略)。

 

話を旧道に戻します。

旧道の脇には海洋センターがあり、そのアクセス路としても利用されている模様。

 

海洋センターの前を過ぎると後は直線。

旧道全体を通して感じたのはやはり現道と比べると小刻みなカーブが多いです。

 

振り返り撮影。

新田川と呼ばれる用水路が合流してきます。

 

新田川合流後はいきなり視界が開けます。

湯之元地区は大規模な区画整理の途中で、いろんなところに空き地や道路用地があります。一つ一つ取り上げていたらきりがないほど。

 

その先すぐで現道と合流します。

 

現道と旧道の交差部。

 

今回はここまでとします。