最近Vau〇dyの灯火をよく聴く男、蕨です。
今回は鹿児島城下と山川を結ぶ旧街道の一つ、山川路の中でも比較的有名な区間を取り上げます。
山川路はこちらでも少し触れましたが、現在の国道226号線の前身にあたる旧街道です。鹿児島城下から谷山の松崎までは主に谷山街道や谷山往還と呼ばれ、その区間は現在の県道20号線や国道225号線と並走しています。
今回はその中でも比較的旧街道としての姿が強く残る区間、五位野-平川の区間を取り上げます。
いつか全線取り上げたいとも思っています。
地図赤線が今回探索する区間の山川路です。
園田橋から探索を開始します。
園田橋は山川路と五位野川の交差部に架かる現役の石造り一連アーチ橋です。
甲突川五大石橋で名高い肥後の名石工・岩永三五郎が架橋に携わった橋になります。
というのもこの山川路の整備には岩永三五郎が関わっていたんだとか。
園田橋を渡ると写真の分岐に出ます。今回の主役の山川路はここを左。
写真正面の道は陸橋の道(国道226号線と平川動物園方面を結ぶ陸橋)の側道で、その正体は旧・知覧街道の更に旧道である五位野道です。
かつてはそのまま平川林道(旧・知覧街道)に繋がっていましたが最近の道路整備によって平川の県道23号線まで繋がる道路となっています。
そんな街道同士の分岐点となっているこのあたりには茶屋があったと伝えられています。
分岐後の山川路は若干狭い道となります。
JR指宿枕崎線との平面交差部には五位野第三踏切が設置されていました。
レール付近の路面は木造になっています。
踏切の先はしばらく住宅脇を進みます。
遠くに見えているのは錦江湾公園のシンボルと言っても差し支えないH-IIロケットの模型。
途中小径が崖下に向かって分岐していました。
旧街道には関係なさそうなのでスルー。
分岐の先で山道が始まります。
とはいえ全線舗装されており、幅員も軽車両程度はあります。
崖下がのぞき込める場所がありました。
五位野川の流れる音が若干聞こえます。
錫山自然遊歩道のような道が始まります。
五位野川の方の路肩はガードレールではなく落下防止工、山の方は土の法面。
「変質者に注意」
…。私の事でしょうか。
ちょっとだけ遅い落石・崩土注意の看板と谷。
この区間には二つほど比較的大きな谷を越える場所があります。
谷沿いに進む砂利道と分岐しますが、こちらはJR九州の指宿枕崎線の保線道路です。
このまま線路に続いています。
砂利道とは反対側、五位野川側の谷。
道は橋ではなく築堤で谷を渡ります。
旧街道時代はどうやって渡っていたのかは定かではありません。旧橋の橋台のようなものも発見できませんでした。
砂利道の対岸には写真のような若干の平場があり、もしかしたら旧街道時代は谷を等高線沿いに迂回してきていたのかもしれません。
一つ目の谷の先にはすぐもう一つの谷があります。
こちらの谷でも砂利道が分岐。こちらも指宿枕崎線の平川トンネルのすぐ前に通じています。
二つ目の谷の先は岩の切通。旧街道時代からのものでしょうか。
恐らく後年に車道規格に拡張はされていると思いますが…。
切通の外側に旧道の平場のようなものは見られません。
暫く緩やかな登りが続きます。
浅い切通。こちらは先ほどのと異なり土の切通です。
切通の先で山の方を見ると独特の岩の崖が連なっている場所がありました。
旧街道時代にはもしかしたら一種のプチ名勝になっていたのかもしれません。
ある程度登ると開けた場所に出てきます。
眼下に見えるのはこの旧街道の新道にあたる国道226号線です。
更にその遠くに見えているのは錫山のあたりの山々。
その先には一番の急カーブがあります。
これでも削られたものらしく、崖はどこか真新しい法面の工夫がされていました。
カーブの先で道は歩道と分岐します。
こちらは錦江湾公園の園路で、先ほどのH-IIロケットの模型がある広場まで繋がっています。
園路の先はしばらく浅い切通などをいくつか経由して下っていきます。
段々と森を抜けてきました。
途中、旧街道が街道として現役であった頃からのものであろう巨木がありました。
流石にプロではないので年代などは分かりません。
木の少し先には城壁みたいな石垣がある場所があります。
山道を抜け切ると一気に住宅の道に。
住宅付近でも坂は続きます。
下りきったところで再度指宿枕崎線と交差。
ここは立体交差になっていました。
浜の小川という川があるようですが姿は見えず。
JRの橋梁は浜の小川橋梁というらしいです。そのままですネ。
旧街道は国道226号線の脇でしぶとく生き延びますが、ここから先は又の機会。
今回はここまでとします。