祝・JR吉都線全線/都城駅開通110周年。

ということで吉都線の宮崎側の終点駅である都城駅でとある地下道を探索してきました。

ちなみに吉都線110周年イベントに立ち寄った帰りの探索です。現在利用者の減少から存続が危ぶまれる吉都線も一応JR的には鹿児島支社管轄で、同管轄内には同様に廃線が懸念される指宿枕崎線の山川-枕崎区間があります。

シンプルに周年のお祝いと枕崎線の活性化の参考にとイベントに参加しました。大雨でしたが楽しかったです。

 

本題の前に祝110周年という事で、吉都線の話を少し。

吉都線はその名の通り鹿児島県湧水町の吉松駅(JR肥薩線 & JR吉都線)と宮崎県都城市の都城駅(JR日豊本線 & JR吉都線)を結ぶ全線単線非電化のローカル線です。そのルーツは古く、当時鹿児島本線として開業した現在の肥薩線(八代より人吉経由で鹿児島駅に至る山岳ルート)の吉松駅から小林(町)駅までが宮崎線として開通したことが発端です。

その後小林(町)駅から都城盆地内の谷頭駅まで延伸開業。そして同年1913年の10月8日に都城駅までが延伸開業され現在の吉都線が完成しました。

当時日豊本線の財部・大川原経由のルートはなく、吉都線は実際九州の東側の鉄路として九州北部・宮崎・鹿児島を結ぶ日豊本線の一部として利用されていました。しかし八代から佐敷・出水・川内を経由する海側ルートが1927年に正式に鹿児島本線(同区間の八代-川内は現在第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に移管)になり、その上ほぼ同時期の1932年に財部・大川原経由のルートが日豊本線として開業。

そのことが肥薩線と吉都線が共に遠距離交通網から外される大きな要因となりました。

しかも肥薩線は令和の大豪雨被災により吉松-人吉-八代が不通・運航再開の目途が立たない状態となった&新型コロナの流行で大きなダメージ(一応、元からかなりの赤字路線)を受け、それに接続する吉都線も同様にかなりのダメージを受けました。

吉都線は現在利用者減少から沿線自治体との協議の対象となっており、利用者増加に向け様々な取り組みを行っています。

 

そんな吉都線の宮崎側の終点、都城駅。

都城市街地の北に位置する当駅には地下通路が二つあります。

 

曇天のJR都城駅。

一見すると高架駅ですが単純に駅舎が二階建てなだけであって地上駅です。ちなみにJR日豊本線の隣駅の西都城駅は高架駅です。

 

そんな駅舎脇に何かありました。

ハイ、見て分かる通り人道用の地下道入り口です。

 

坑口上部に扁額のような銘板が取り付けられていました。

都城駅公共地下道

都城広域都市計画事業

都城駅前土地区画整理事業

完工年月日 昭和51年3月30日

都 城 市

昭和51年3月といえば都城駅舎が三代目駅舎(現在の駅舎)になった年月です。

とどのつまり駅舎リニューアルに際して設置された地下道なんでしょうネ。

先にネタバレしますがこの地下道は駅舎と線路・ホームを挟んだ住宅地を結んでいるものです。

 

壁にも別の銘板が取り付けてありました。

こちらはとんでもなく錆びてます。というのもこの地下道度々冠水しているようで、その影響かもしれません。

 

記載のうち注目するべきは設計の乱で、鹿児島鉄道管理局の文字が読み取れると思います。

これは現在のJR九州鹿児島支社の国鉄時代の名称です。都城駅は現在は宮崎支社の管轄ですが、当時の鹿児島鉄道管理局の管轄は宮崎県の一部まで含まれていた為この名前が残っているのでしょう。

 

階段を降り切ると若干地下鉄味のある地下道に出ます。

壁に広告がない違和感。

 

振り返ると何やら正面とは別のルートがありました。

ちなみに写真左上のボックスは監視カメラです。写真を撮る姿もバリバリ写ってます。たぶん。

 

こちらはどうやら自転車を押して進むようのルートのようで、先ほどの入り口のすぐ横に入り口がありました。

 

自転車用のルートは階段ではなくスロープになっています。

駅舎側は二度折り返します。

とはいえあくまで人道用の地下道なので乗車したままの通行は出来ません。自転車で通りたい方は押して歩きましょう。

 

地下道の途中、天井にぽっかりと長方形の穴が空けられていました。

換気なのか明かりなのか分かりませんが、雨が入ってこないので駅構内の屋根があるどこかだと思います。

位置的には二番ホームのあたり?

 

横穴に怪しい鉄扉があります。

電気関連でしょうか。

 

住宅側も駅舎側と同様に歩行者用と自転車用で分かれているようです。

 

歩行者用の入り口。

こちらには銘板はありません。

 

自転車用の入り口。こちら側に折り返しはありません。

 

地下道の出入り口のすぐ脇には都城太陽光発電所があります。

こちらは都城駅に併設されていた車両基地跡を転用したものになります。安定の土地転用の器用さ。

 

さて、最初地下通路は二つあるといいました。

そのうちの一つがこの都城駅公共地下道で、もう一つはどこにあったかというと…。

 

はい。駅構内です。

写真にデカデカと映る跨線橋は改札のある単式ホームと島型ホーム二基を結ぶものですが、実はこれつい最近バリアフリー化事業として設置されたばかりのモノです。

設置以前は地下通路を用いてホーム間を行き来していました。

 

1番のりばの地下道入り口は写真奥、跨線橋の階段の手前にありました。

え?何もない?

当然です。都城駅構内の地下道は跨線橋完成後完全に埋め戻されており現存しません。

最初あたかも現存するかのように二本あると言ったな、あれは嘘だ。

 

跨線橋内部の様子。

広告が並んでいますが、地下道も同様に広告が並んでいました。

 

2・3番のりばの島式ホームには埋め戻された痕が鮮明に残っています。

場所は跨線橋の階段の裏。

 

4・5番のりばの島式ホームも同様に埋め戻された痕が残っていました。

完全に埋め戻されてしまっておりもうかつての姿を思い出す方が難しいですネ。

 

今回の探索はここまでとします。