先日KANSAIで都会を味わってきた男、蕨です。
指宿枕崎線はいつ9両編成になるのでしょうか。ホームの長さが足りない?さいですか。
今回はいちき串木野市のよくある旧橋を探索しましたヨ。
あ、ちなみに文献があるみたいなのですがちょっとそちらは未確認です。確認したら追記すると思います。
旧橋は県道43号(川内串木野)線(地図黄色線)の旧道にあたります。
県道43号線は旧県道311号(串木野久見崎川内)線として1958年に県道として認定されましたが、野元橋/平江橋の旧橋は認定以前から存在していました。
今回の主役は地図赤線、旧野元橋です。現存はしていません。
集落を抜けオコン川沿いに出てくると、何やら石碑がありました。
文字が潰れてしまっており、何が書いてあるかは不明です。野元橋の架橋記念碑であればvery hotですが。
石碑の裏にはオコン川が流れており、すぐ横には県道45号線の野元橋が架かっています。
そして対岸、その現橋の脇に何かが見えます。
綺麗なL字構造物。そう、旧橋の橋台です。
新橋の架橋には様々なタイプがあり、旧橋の幅員を飲み込む形でそのままほぼ同位置に架け替えがされるものや全く違う場所に同名の橋として架けなおされるもの、そして今回のようにすぐ真横に架けられるものなどがあります。
真横に架けられるものはこのように橋台が残っていたり前後の旧道が分かりやすく残されたままとなっていたりする場合が多い気がします。とはいえ河川拡幅などに伴う架け替えの場合は護岸工事で痕跡が消えてしまう事がありますが。
右岸側には旧道が歩道に転用される形で残っていました。
左岸側、石碑の裏にもさりげなく橋台が残っていました。
橋台はコンクリート造りに見えます。
現橋と旧橋。
水面がキラキラしてます。探索日も変わらずに猛暑日でした。
現橋の銘板。集落の名前がそのまま橋名となっています。
現橋の銘板その弐。現橋は昭和55年に竣工されたようです。意外と現橋の架橋は最近でした。
戦後の航空写真を見ても旧橋は車道規格の橋だったようで、永久橋として長く活躍したのではないでしょうか。
橋台的にもコンクリート橋かなんかだったんじゃないかなぁと思います。
現橋の銘板その参。オコン川というのはなかなかユニークな名称です。
由来は調べても分かりませんでした。しかしどうやらイチイの事をアイヌ語や東北ではオッコ、オンコというそう。
また、オコムプシペというアイヌの地名から黄金という名称に変わった場所もあるらしいので、もしかしたら金山由来でオコム→オコンという形で輸入されたのかもしれません。
陰謀論並みのこじつけですが詳細が不明なので仕方ないですネ。
野元橋より南には平江橋があり、そちらにも旧橋が存在しました。
こちらには現橋の脇に旧橋の親柱が保存されています。
平江橋の方は石橋だったのかもしれません。
今回の探索はここまでとします。