二日間日記空いた。
これまで夜に書いてたのをモーニングルーティンに組み込むようにした途端、書くの忘れてしまった。
思い出して今日からまた書き始める。
こうやって思い出しただけ良かった良かった。
「過去」について考えた。
自分の過去とかではなく「過去」というこ言葉そなものについて。
人は誰もが、それこそ1人の例外もなく「今」という瞬間に生きてる。
こうやって文章を書いてる今も、一行前書いてた事は既に過去にとなり文字を打つ瞬間だけが「今」である。
という事は、「過去」というものは現実には存在しないものであり、今が過去となって、その過去自体は言い換えれば「体験した本人が意味付けした思い出」でしかない。
1日前、1ヶ月前、1年前、過ごした思い出はある。
更にはもっと昔、幼少期や学生時代の思い出もある。それを過去を呼ぶ。
生きてると少なくとも一度や二度は精神的に苦しい出来事に遭遇する。
裏切られた、振られた、嫌われた、などなど。
そしてその過去を未だに引きずり、現在の自分の思考に影響させてると思い込んでる人がなんと多い事か。
「あの過去のせいで今の自分はこうなった」
逆もまた然り。
「あの過去があったから今の自分でいられてる」
一見、前者は過去をマイナスに捉え後者はプラスに捉えてるように見えるが、どちらも「過去」こそが「今の自分」を形成してるという観点では同じ事だ。
違和感。
誰もが「過去」と呼ぶその思い出は、果たして「事実」なのか?
自分の現在の考え方が色濃く影響を与え、思考に沿う事柄だけを抽出して自分の都合良く解釈してるだけでないのか?
人の記憶力には限界がある。全てを覚えてる訳ではない。
では何を覚えてるか?
今の自分の思考に沿うものだけを脳がチョイスして残す。
何十年生きてると楽しいこと嬉しいこと、幸せを感じたことも幾度もあるはずだ。
だがもし今の自分が、過去と呼ばれるものを「辛い」「苦しい」「無意味」とネガティブなものにしてるのであれば、それは過去のせいではなく「今の自分の思考が過去を色付けてる」だけである。
過去は変えれる。起きた出来事そのものは変えれないが、違う視点から見ることが出来る。
自分のこれまでの人生が良かったのか悪かったのか、それをどう捉えるかは常に「今の自分」次第。