Study Hard -556ページ目

ツンデレ考、あるいは信仰の萌芽

 巷ではツンデレなる言葉がよく聞かれるようになりました。
 ツンデレの定義はやや不明確なところがありますが、大筋では一致していると言ってよいでしょう。私は別に細かいズレを一致させようと考えているのではありません。「ソトではツンツン、ウチではデレデレ」と考えても構いませんし、「ツンツンまたはデレデレしており、かつ『ツン>デレ』」でもよし、あるいは「ツンツンかつデレデレしている状態(口で説明するのは困難ですね)」でも構いません。また、ツンデレの黄金比はツン7.4:デレ2.6であると計算していらっしゃる方もいます。

 しかし、今回私が話したいのは別の話です。端的に言えば「ツンデレは宗教である」と主張したいのです、あるいは宗教としての資質を備えているとでも言うべきでしょうか。

 宗教を3つの形態に分類する考え方があります。一つは誓願態、もう一つは希求態、そして諦住態です。
 誓願態とは「神様、○○して下さい、お願いします」という形です。これは現代においても最も人気のある形態です。現在宗教法人に来る人のほとんどが、この誓願態を前提にしていると考えられます。「受験がうまくいくように」「商売がうまくいくように」、こういった「お願い」は代表的でしょう。やや話はずれますが、宗教法人に来る理由を多い方から3つ挙げろと言われたら、あと一つは「年老いて死ぬのが怖い」でしょうか、おそらくは「周りがどんどん死んでいって寂しい」と組です。しかし、ここまで来ると最早誓願態とさえ言えるかどうか…、話が脱線しすぎました。ちなみにスペイン語に至っては「誓願文」を「おー、アラー○○して下さい。」という形で書きます。イスラムとは何の関係もない使われ方ですね。だから何だと言われても困りますが。
 次に希求態ですが、これは「世界が平和でありますように」です。白光真宏会が有名です。これもなかなか人気が出る形態だと思います。「気軽な(草の根)平和活動」「何か善いことしたい」、こういう感覚を持っている人は存外に多いようです。
 さて、最初の2つについて簡単に説明してきましたが、この2形態は「もはや現在に至っては、宗教のすべき活動ないし宗教本来の活動とは言えない」とさえ考えられています。試験に受かりたければ試験勉強すべきだし、商売を繁盛させたければ経営について考えるべきだし、宗教が平和活動すれば結局は政治臭がつきまといます(前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世を見ればよく分かるかと思います)。あ、『政治とは本来「まつりごと」であり、政治と宗教を本質的に分離するのは云々』という話はここでは置いておくとしましょう。
 そして最後に諦住態についてです。これは、世界でなく自らを変えることによって、どのような状況においても平静に生きて行くことが出来る、というものです。言ってみれば、強制収容所の中でも、自棄になったり感情(一般に激情とは区別されています)を捨てたりすることなく日常生活を送れるわけです。ちなみに「意味(あるいは人生の意味)」を見出す宗教ではありませんので、注意してください。

 さて、今までの話と「ツンデレ」とどう関係があるのかと訝しく思う方もいらっしゃるかもしれません。そこで「ツンデレ」を次のように解釈してみたらどうでしょうか。

 ツンデレとは、「ツン」という現実に対する「デレ」という脳内補完の結果である。

 ここには激しい「価値の転換」があります。冷たく当たられて本来不快なはずの「ツン」を「デレ」としてそのまま快に変えてしまうのです。自らを変えることにより、不快を快に転換するのです。しかも驚くべきことに、「ツン」の度合いが強ければ強いほど、「デレ」としての転換も一層強くなるのです。
 自らを変えうるもの。これは宗教の一つの極致であり、あるいは神性の一つであるとも言えます。「ツンデレ」は、ところを得れば、現代最高峰の宗教の一つになれるかもしれません。

 余談ではありますが、その他のツンデレについても考えてみましょう。
 まず、誓願態としてのツンデレです。これは簡単ですね、「○○をツンデレにして下さい」「ツンデレになれますように」です。
 次に、希求態としてのツンデレについて考えてみます。これも簡単です、「世界人類がツンデレでありますように」です。
 「世界人類がツンデレでありますように(May Tundere Prevail on Earth.)」、いいじゃないですか。街角という街角にこの文句が貼付けられている街を想像して下さい。ちょっと住みたくなってきました。どこにその街はありますか、教えて下さい(誓願態)。
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 (追伸)2006/9/30
 諸事情あってこの文を読み返してみました。
 おそらく文中の「誓願」をすべて「請願」に変えるのが正しいかと思います。誓願は神仏に対する態度なので、うっかり気付かずに表記していたようですが、冷静に考えてみると少し意味が外れるような気も……するようなしないような。この文章を我慢して読んで頂ければ分かりますが、まったくもって馬鹿な内容なので碌に推敲してません(苦笑)。本当はきちんと調べ直すべきですが、またの機会に先送りしたいと思います。
 次に気付いたときに調べ直すやる気があれば、もう一つ追伸文がつくはずです。

 しかし所々でかなりの誤解を招くような言い回しが目立ちますね。やっぱり推敲しない文章はダメだな。というかこの文は元々ダメな内容を目指して書かれたのですが。

Defense Fighter

 ロッキードマーチンのサイトを見ていたら、こんなページがありました。

F-2 Defense Fighter
http://www.lockheedmartin.com/wms/findPage.do?dsp=fec&ci=11172&rsbci=13000&fti=0&ti=0&sc=400

 F-2って「Defense Fighter」っていう呼び名があったんですか。そう言えば聞いたことがあるような気もしますが、仮に聞いたことがあるとしてもすっかり忘れていました。それだけです。ちなみに冒頭では「The F-2 Support Fighter」と呼ばれていますが、これは「F2支援戦闘機」の直訳でしょう。しかし、「Defense Fighter」って何だか違和感を覚えるのですが、どうですかね。
 少し話は飛びますが、F2は空対空戦闘が一応可能ということになっていますね。どのような戦闘を想定しているのでしょうか。中距離AAMを発射している「制空戦闘機F2」は想像出来ません。かと言って、格闘戦をするF2…はもっと想像出来ないような。まあその辺りはあまり突かない方がよいですね。
 ロッキードマーチンに文句言ったところで「Fighting Falconをベースに、空対地戦闘をメインにし、かつ空対空戦闘にも対処可能なFGAを造れって言われたから、その通りに造っただけだもん。大体、責任の6割は日本にあるんだよ」なんて返されそうですね(妄想)。
 いや、別にF2が欠陥機だなんて言ってるわけではないんですよ。ただ、「F2の空対空戦闘能力って何なの」というよくある質問を蒸し返しただけです。

 次はもっと電波な内容で書かないといけません(そう指示が出ているので)。というわけで、明日には新しいカテゴリ「電波」が付け加わっていることでしょう。

BSきょうの世界

 NHKBS1でやっていた「きょうの世界」を見ていたら、ラオスの不発弾処理の話が出てきました。私は聞き逃してしまったのですが、父が聞いていたところによると、投下された爆弾のうち30%(何の30%かは不明)が不発弾として残ったという話があったようです。
 私は耳を疑いました。30%というのは冗談ではないか、10%の聞き間違いではないか、と。そこで調べてみたらこんなものが出てきました。

ラオスにおける不発弾処理事業について(日本地雷処理を支援する会)
http://www.jmas-ngo.jp/page/katudou/2005/raosugaiyou.htm
「投下された爆弾の内、10~30パーセントが不発弾として残されていると見積られています。特に、クラスター爆弾子弾の不発弾としての残存率が高く、…」

 これって本当でしょうか。5~10%程度が不発弾になるらしいということは一般によく知られていますが、30%ですよ。いくら子弾とはいえ、30%が不発弾になると聞くと、欠陥兵器なのではないかという気がしてならないのですが…。太平洋戦争初期における米軍の欠陥魚雷の不発率が30%くらいじゃありませんでしたっけ、詳しくは覚えてないので違ったらすいません。あるいは、子弾の基準ではこれが普通なのでしょうか。まあそれ以前にはっきりしたことが分からないのでしょうし、その辺りは10~30%という曖昧な数字に表れてはいるようです。仮に10%なら「普通」ですしね。
 ともかく気になります。子弾の不発率くらい比較的簡単に実験で調べることが出来そうですから、どこかに結果があるのではないかと思います。しかし、「弾道学入門」には子弾の不発率は高いとは書いてなかったような気も。何より実戦のデータがあればよいのですが、それは難しいですね。現にラオスの分がまったく把握出来ていないのが証左ですか。

 ちなみに 「UXO LAO」のページ。
http://www.mineaction.org/org.asp?o=57