Study Hard -417ページ目

続少jy(ny

 少女(等)漫画に依るとアレだな。
 俺は(元)社長に告白されたことになるのか。「**さんが好きで好きでたまらないんですよ」と言う元社長現相談役と2月に河豚を食べに行く約束をした私であったが、恋の運命や如何に。「でもキスするわけにはいかんからね」とはにかむ相談役に微笑むだけで何も言わなかった**。そこで「私は一向に構わんッッ!!」と言うべきではなかったのか?そんなラブストーリー(実話)。ネット上なのでスノッブに本名を隠してみました。知りたい人はコメント欄でお願いします。
 それから第7親衛戦車軍団の配置が頭を離れないから、俺は7GTCに恋をしてる、と。しかしそれは実は第9親衛機械化軍団の配置が根本であった。自分はどちらが本当に好きなのか悩むのであった。

 よくある恋愛相関図

 相談役→自分→7GTC
      ↓
     9GMC

少女漫画とウォーゲームと私

 最近ウォーゲームを見ているだけで興奮する(性的な意味で)ので、妹の部屋にあった少女(?)漫画等々を参考にしてみた。

 取りあえず主人公(99%女子)を自分に見立て、対象(の男性)をウォーゲームとして色々読んでみたがまったく意味不明である。
 まずウォーゲーム(対象の男子)に万能性が付与されているものはまったく話にならない。ゲーム化するということは、複雑な現実を何かに注目する事に依ってゲームという扱える段階まで変形するということなのだから、何でも出来るウォーゲーム(かつ何故か私=主人公が好き)などという概念自体がナンセンスである。
 もっと問題なのは、話全体がウォーゲーム(対象の男子)と私(主人公)という人間関係に終始する点である。ゲームではプレイヤーによる意思決定が重要であるが、かと言って意思決定はゲームそのものではない。ましてや人間関係などでは有り得ない。確かにプレイヤーがすることはすべて意思決定であり、それはある種の「関係」なのかもしれないが、そもそもゲーム自体が明確にルール化されていないので何を言っているのかが分からないのだ。
 また、主人公がウォーゲームに対してアプローチする手法なども一貫性や原理に乏しく、全般に何がしたいのかが分からない。特定のゲームに固執するが、それが求めるゲームであるという実証がまったく無い。重要なのは「何に対して、どのようなゲームを作れば良いか」であって、既存のゲームの批評ではない。好き嫌いもあるだろう、名作佳作駄作も色々あるだろう、繰り返しプレイし改良して行くに値するゲームも多くあるだろう、単に娯楽として楽しむのも良いだろう。しかし大雑把でも良いので「何がしたいのか」というのが見えないと、困り果ててしまう。
 多くの少女(等)漫画の共通の問題点は「ウォーゲームとの合一感を求める」点にあるだろう。ゲームは現実そのものではなく、そこから抽象した何ものかであるということを失念していると言わざるを得ない。とにかく少女(等)漫画はゲーム一般に対する原理・手法としてまったく不適切だと思われる。

 次に主人公をウォーゲームに見立て、対象を自分(たち)だと考えてみる。
 「ウォーゲームは最初から存在しており、それを吾々が発見・受容出来るか」ということをこの観点の根底に据えられるべきかと思う。つまりゲームとして実現(realize)していなくとも、そのものは確かに存在しているという考えである。例えば石炭なども地中に存在してはいるが、それは労働力などと組み合わされて初めて"realize"する。また、少女(等)漫画においては発見後に直ちに受け入れられる訳ではない。如何にしてそのウォーゲームが正当性を得て行くかというプロセスも含めて全体を構成している。

 なるほど、後者の考え方は有り得るかもしれない。そして未知の魅力的なウォーゲームたちが今日も発見を待って手を広げているのである。

助けてくれ

 ウクライナ'44のユニットを表替えしたまま3時間眺めてたら、1-3-6国防軍歩兵師団が愛おしくてたまらなくなってきた。場合に依っては3個とも第1ターンに吹っ飛ぶという非道。まあせいぜい1/9の確率だが。あと3-2-5赤軍歩兵師団の生きて来た意味を問うてみたり。まあ1SSPz+重戦車大隊で嫌な事は全部忘れられるね。

 ちなみにルールの質問をしたら即答だった。
 ドイツ軍の戦術的優位における損害数に退却の分は考慮しないらしい。だから1/2だろうと1/2Rだろうと損害数は2。つまり間違えてました。申し訳ない。多分4、5ステップは得した。
 3ステップユニットから損害を受けないためには1/4Rを出すしか無い訳だ。難しい。