陳謝
本日は本郷に行きませんでした。いらして下さった方には大変申し訳有りません。
実は朝っぱらに宗教法人の今後の運営に関する重大問題が協議され、それが終わったときは3時近くになっていたという次第です。誰か来てたらマズいなあとは思いつつも、どうしても宗教法人の方が優先度の高い問題だったので申し訳有りませんでした。
事の起こりは30年近く前に遡るのですが……経緯はともかくとして、祖母は教祖である自分の発言が社会的に見てどういう事態を引き起こすのかをよく理解できないようです。そして母と祖母の口と頭の軽さが今回の問題の最大の原因だったようです。
現在はお互いに関係して動いている宗教法人の運営と一家の方針と一家に属する個人のあり方が、本質的には切り離すことが出来るものだということが祖母に はどうにも理解できないようで、自分の真似事をするか、さもなくば宗教法人はいらないという考えにややもすれば陥りがちな様子。それに自分がいかに宗教法 人によって保護されてきたかが理解できないようで。
紛争はますます大きくなる様相を呈してます。祖母が生きている間は好きにさせるという約束にはなっているのですが、祖母は自分が死んだ後も自分のやり方 が受け継がれて行かなくては気に入らないようで。あと、宗教を求めてもおらず、信者団体を構成してもいない母は今後一切関わるなという厳命が下されました が……横合いから顔を出して軽口を叩く癖は治らんでしょう。
父の代になれば間違いなく、宗教は社会の役に立たなければいけないという幸せな考えと相容れないことになるでしょう。そうすると他宗教の信者ではなく、 むしろ自分はなんの宗教にも染まっていないが宗教の現代的解釈に理解はあると妄想する凡夫に激しい不快感を与えることになります。それだけなら一向に構わ ないのですが、祖母の代で反社会的行為を推奨するような集団だと世間の目から見て思われてしまうこと(簡単に言えば、自覚なしに、裏で教祖が操っていると 多くの人に見なされるような言動を繰り返していると)と組み合わさると非常にマズい。とまあそういう話でもあります。私の中では。
非常に重要なことは、こういった諸々のことと宗教そのものは関係ないということで、そこが分離できないのが祖母らしいと言えば祖母らしい。
ところで一括徴収関連のことですが、とりあえず返還窓口の設置を求める方向で行動中。具体的にどうなっていくかはまだわからないので、具体的に何をするかもちょっと言えません。
一つ言えるのは徴収率が下がればその分事態は動くでしょうということ。あとは自分が単なる学生の一人だということを忘れないのが大切なことでしょうか。
今日は返す返すも申し訳有りませんでした。これに懲りずにもう少々お付き合い下さい。
あとSさんとちょっと話をしたことですが、煽りも防御側有利。
それからS竹君。
本当に貴君は史学科の3年生になるお方で遊ばされるのでしょうか。世の中に「歴史評論家」という肩書きが存在しないことを嘆く日が来ないよう祈ります。
実は朝っぱらに宗教法人の今後の運営に関する重大問題が協議され、それが終わったときは3時近くになっていたという次第です。誰か来てたらマズいなあとは思いつつも、どうしても宗教法人の方が優先度の高い問題だったので申し訳有りませんでした。
事の起こりは30年近く前に遡るのですが……経緯はともかくとして、祖母は教祖である自分の発言が社会的に見てどういう事態を引き起こすのかをよく理解できないようです。そして母と祖母の口と頭の軽さが今回の問題の最大の原因だったようです。
現在はお互いに関係して動いている宗教法人の運営と一家の方針と一家に属する個人のあり方が、本質的には切り離すことが出来るものだということが祖母に はどうにも理解できないようで、自分の真似事をするか、さもなくば宗教法人はいらないという考えにややもすれば陥りがちな様子。それに自分がいかに宗教法 人によって保護されてきたかが理解できないようで。
紛争はますます大きくなる様相を呈してます。祖母が生きている間は好きにさせるという約束にはなっているのですが、祖母は自分が死んだ後も自分のやり方 が受け継がれて行かなくては気に入らないようで。あと、宗教を求めてもおらず、信者団体を構成してもいない母は今後一切関わるなという厳命が下されました が……横合いから顔を出して軽口を叩く癖は治らんでしょう。
父の代になれば間違いなく、宗教は社会の役に立たなければいけないという幸せな考えと相容れないことになるでしょう。そうすると他宗教の信者ではなく、 むしろ自分はなんの宗教にも染まっていないが宗教の現代的解釈に理解はあると妄想する凡夫に激しい不快感を与えることになります。それだけなら一向に構わ ないのですが、祖母の代で反社会的行為を推奨するような集団だと世間の目から見て思われてしまうこと(簡単に言えば、自覚なしに、裏で教祖が操っていると 多くの人に見なされるような言動を繰り返していると)と組み合わさると非常にマズい。とまあそういう話でもあります。私の中では。
非常に重要なことは、こういった諸々のことと宗教そのものは関係ないということで、そこが分離できないのが祖母らしいと言えば祖母らしい。
ところで一括徴収関連のことですが、とりあえず返還窓口の設置を求める方向で行動中。具体的にどうなっていくかはまだわからないので、具体的に何をするかもちょっと言えません。
一つ言えるのは徴収率が下がればその分事態は動くでしょうということ。あとは自分が単なる学生の一人だということを忘れないのが大切なことでしょうか。
今日は返す返すも申し訳有りませんでした。これに懲りずにもう少々お付き合い下さい。
あとSさんとちょっと話をしたことですが、煽りも防御側有利。
それからS竹君。
本当に貴君は史学科の3年生になるお方で遊ばされるのでしょうか。世の中に「歴史評論家」という肩書きが存在しないことを嘆く日が来ないよう祈ります。
直接の本題じゃない方
主に国家などと呼ばれる社会的存在について、大きければいいとか小さければいいとは言えない。それでは何に依って範囲が決まっているのだろうか。例えば微分方程式で表せたとしたら、その主要項は何を意味しているのだろうか。とまあこんな質問を考える。
そうするとコストという考えが頭をもたげてくる。それではそのような社会的存在の興亡に関するコストとは何かという質問になる。ところで国家に限らず、 様々な社会的存在に関してこの考え方は適用できるのではないかと思う。そうすると小さな社会的存在、組織とも呼べないような、で考えてみたくはなるまい か。
さて、3ヶ月の無駄な労力を費やし「コストが低いからこそ『学生自治』が存在する」という仮説に私は到達した。
学生による自主運営という前提を置いたとき、学生会館の運営におけるコストとは学生の時間が主要項であり、その学生の時間を損失せしめる最大のものは窓 口業務であり、その窓口業務には時給が出ている。従って、以上の条件の元で学生会館のコストは人件費によってはかられる。という具体的な推論に繋がる。
そして何より、学生が運営するか学部が運営するかについては前提を置かないとして、それではその場合の学生会館の運営におけるコストとは何だろうか。そ のコストが学生が運営した方が低いときに学生が、学部が運営した方が低いときに学部が行うことに長期的にはなるのではないだろうか。まさにそのコストが学 生に依った方が低いからこそ学生による自主運営があり、意味があるのではなかろうか。
という論を展開し、委員長に見事にスルーされた。というよりもコストという単語の意味がどうも伝わっていなかったようだ。最初の推論についても、人件費 が下がる=コストが下がるという程度のことに思われたようだ。コストとは必ずしも金銭のことではないとまず注釈したのだが。
これにより確信したことがある。それはコストの低い運営こそが学生自治の意味であるという持論は他の学生や教授や職員に一切理解されないだろうというこ とだ。だからもうこの話はやめよう。まずコストという単語の意味、特に金銭的な意味とは限らないということ、を説明するだけで日が暮れる。そしてコストが 金銭に依って計れるなら幸運だという意味を説明するのにもう一回日が暮れる。しかも同意を得ることは出来そうも無い。
何より残念だったのが、仮説が証明不能だという確信が深まったことだ。つまり、コスト云々なんて考えなくても世の中なるようになるということだ。もちろん、そこに何らかのコストが関わっているかを検証することは出来る。でも、それだけの時間も労力も意味も無い。
今言えるのは、一括徴収の問題はちょうど時流に乗ったということ。だからそれを壊さない程度に後押ししてやろう。過干渉はよくない。
そうするとコストという考えが頭をもたげてくる。それではそのような社会的存在の興亡に関するコストとは何かという質問になる。ところで国家に限らず、 様々な社会的存在に関してこの考え方は適用できるのではないかと思う。そうすると小さな社会的存在、組織とも呼べないような、で考えてみたくはなるまい か。
さて、3ヶ月の無駄な労力を費やし「コストが低いからこそ『学生自治』が存在する」という仮説に私は到達した。
学生による自主運営という前提を置いたとき、学生会館の運営におけるコストとは学生の時間が主要項であり、その学生の時間を損失せしめる最大のものは窓 口業務であり、その窓口業務には時給が出ている。従って、以上の条件の元で学生会館のコストは人件費によってはかられる。という具体的な推論に繋がる。
そして何より、学生が運営するか学部が運営するかについては前提を置かないとして、それではその場合の学生会館の運営におけるコストとは何だろうか。そ のコストが学生が運営した方が低いときに学生が、学部が運営した方が低いときに学部が行うことに長期的にはなるのではないだろうか。まさにそのコストが学 生に依った方が低いからこそ学生による自主運営があり、意味があるのではなかろうか。
という論を展開し、委員長に見事にスルーされた。というよりもコストという単語の意味がどうも伝わっていなかったようだ。最初の推論についても、人件費 が下がる=コストが下がるという程度のことに思われたようだ。コストとは必ずしも金銭のことではないとまず注釈したのだが。
これにより確信したことがある。それはコストの低い運営こそが学生自治の意味であるという持論は他の学生や教授や職員に一切理解されないだろうというこ とだ。だからもうこの話はやめよう。まずコストという単語の意味、特に金銭的な意味とは限らないということ、を説明するだけで日が暮れる。そしてコストが 金銭に依って計れるなら幸運だという意味を説明するのにもう一回日が暮れる。しかも同意を得ることは出来そうも無い。
何より残念だったのが、仮説が証明不能だという確信が深まったことだ。つまり、コスト云々なんて考えなくても世の中なるようになるということだ。もちろん、そこに何らかのコストが関わっているかを検証することは出来る。でも、それだけの時間も労力も意味も無い。
今言えるのは、一括徴収の問題はちょうど時流に乗ったということ。だからそれを壊さない程度に後押ししてやろう。過干渉はよくない。