暴力の起源
小学校の思い出。
【合戦】
3、4年生頃だったろうか。一月以上にわたって続いた、休み時間の遊びがあった。それは、○○倒し合戦という名前で、○○には私のあだ名が入っていた。休み時間のたびに、クラスの男子の結構な割合と私が校庭にでて、暴力の応酬を繰り広げていた。
いわゆる喧嘩に相当するが、別に対人関係の問題があってやっていたのではなく、単にそういう遊びだったに過ぎない。また、中高生がよくやっているポーズとしての喧嘩ではなく、本当に相手をどう倒すかに傾注していたので、華々しく殴りあうなどという愚かな真似はせず、距離をとりながら隙をうかがい、気が向いたら投射武器で攻撃するなどの、正しい古代戦が展開されていた。
決定的な打撃を与える場面は少なかったものの、隙を見せると朝礼台から飛び蹴りが飛んでくるなどの緊迫した戦いが続いたような気がしなくもない。私は私で、わざわざクラスでも弱い方から叩くなど、理想主義の欠片もないありさまであった。
一月余りの戦いは、私が飽きた形で終了したが、仮に無条件降伏と戦後賠償を要求されたら、第二次合戦が起こっていたことは間違いない。
【最良の武器】
上記の遊びとは別に、2年生から4年生の間、年1回の割合で本気の喧嘩もしていた。喧嘩の発端はいつも同じで、上履きが目に当たったからであった。なぜ上履きが目に当たるような事態になったのか、自分でもよく覚えていないが、小学生は当たり前のように上履きを人に向かって投げるものなのだろう。
上履きほどの重量物が目に当たると激痛なので、痛みから回復すると(泣きながら)投げた本人に向かって全力で攻撃したものだった。すると、周りの同級生たちも自然とこの争いに参加し、なぜか闘牛のように私とクラス全員が戦っていたりした。
実は、こういったことが複数回あったので、それを遊びとしてやろうと提案されたのが上記合戦だったのだ。
【痛み】
結局、子どもの腕力などたかが知れたもので、蹴りがまともに入ってもちょっと痛い程度のことでしかなかった。
それより、先生から貰う罰の方が遥かに痛く、特に、3年の担任だったF先生の「もみじ」は畏敬の対象だった。太ももにビンタされた後に(小学生は常時半ズボン)手形がもみじのように残ることから、この名前がついた。もみじの跡は勇気の証でもあった。
しかし、さらに痛いものがあった。ドッジボールで先生が本気で投げた球である。これを受け損なったときの衝撃はかなりのものだったが、それでも先生の投げた球をキャッチするのは多くの生徒の目標だった。
やや余談になるが、小学生の頃、母もよく暴力をふるった。
子どもの頃の痛みのランキングは以下の通りであり、この順番で権威があった。痛みと権威は相関する。
先生が放つドッジボールの玉≧先生>母>子ども集団
【法】
子どもは暴力に怯えるが、結局は一過性でしかない。真に人間を恐怖せしめるのは肉体の痛みではない。子ども集団、学校内で最も恐ろしいのは、喧嘩でも先生でも女子でもなかった。子ども集団がもつ暗黙の法に触れることが何よりも恐ろしかった。
たとえば、学校内で大便することは大変な落ち度で、これが発覚すると、かなりの期間にわたり、子ども集団の序列で最下層に置かれた。他にも独自の価値観や美意識が無数にあり、集団を取り巻く環境と合わせて、学校生活を制限していた。
私が知る限り、子どものイジメというのは、子ども集団の道徳・倫理・法(以下、法)に触れた子どもに対する報復でしかなかった。そこに居たのは、いじめる側といじめられる側ではなく、一般市民と犯罪者だった。そして、犯罪の程度によって、その罪を負う期間も決まった。子どもを野蛮人程度にしか見ないから理解できないだけで、イジメとは、独特な子ども集団の正常な姿でしかない。
子どもの法は、明文化もされていないし、慣習的ですらなかったりする。しかし、そこには確実に法が存在し、誰一人そこから逃れられず、法に触れた時点での序列すら何の役にも立たない。なぜなら、それこそが序列を決定するものだったからだ。
以上からお分かり頂けたと思うが、子ども集団はプリミティブな人間集団の一類型でしかない。そこには曖昧ながらも秩序が存在し、社会を形成している。暴力はそこにおいて権威的ではあるが、絶対視されているわけでもない。子ども社会の法と無関係に先生に制裁されたとしても、それは子どもにとって本質的な恐怖を喚起しない。むしろ、法の外からの攻撃を耐えた勇者でしかない。
【恐怖】
真に私が恐れたのは、暴力を一切ふるわない父から嫌われることだった。
最も重要なのは序列である。父は序列で唯一にして最高の位置にあった。それがどのように決定されるかや、全順序か半順序かはともかく、最高序列との繋がりを絶たれることが何よりも恐ろしかった。
順序は人間のハタラキの重要部分である。順序は秩序の中核であり、最高秩序は最高価値を意味する。ツォルンの補題より、帰納的順序集合は極大元をもつので、一般の秩序は常に局所的な最高秩序をもつ。
【余談】
小学生の頃は、男子と女子に分かれて世界最終戦争を戦っていたが、他に経験者がいなくて困っている。もちろん、異なる秩序をもつ集団は不倶戴天の敵だからである。
女子は常に先生の権威(=先生の暴力の権威)をかさにきていたが、上述のF先生は男女平等に無価値扱いする素晴らしい先生で、男子からは大人気だった。
小学校とは、最高価値に向かって最終戦争を戦い抜く聖戦士たちの痕跡なのである。
【合戦】
3、4年生頃だったろうか。一月以上にわたって続いた、休み時間の遊びがあった。それは、○○倒し合戦という名前で、○○には私のあだ名が入っていた。休み時間のたびに、クラスの男子の結構な割合と私が校庭にでて、暴力の応酬を繰り広げていた。
いわゆる喧嘩に相当するが、別に対人関係の問題があってやっていたのではなく、単にそういう遊びだったに過ぎない。また、中高生がよくやっているポーズとしての喧嘩ではなく、本当に相手をどう倒すかに傾注していたので、華々しく殴りあうなどという愚かな真似はせず、距離をとりながら隙をうかがい、気が向いたら投射武器で攻撃するなどの、正しい古代戦が展開されていた。
決定的な打撃を与える場面は少なかったものの、隙を見せると朝礼台から飛び蹴りが飛んでくるなどの緊迫した戦いが続いたような気がしなくもない。私は私で、わざわざクラスでも弱い方から叩くなど、理想主義の欠片もないありさまであった。
一月余りの戦いは、私が飽きた形で終了したが、仮に無条件降伏と戦後賠償を要求されたら、第二次合戦が起こっていたことは間違いない。
【最良の武器】
上記の遊びとは別に、2年生から4年生の間、年1回の割合で本気の喧嘩もしていた。喧嘩の発端はいつも同じで、上履きが目に当たったからであった。なぜ上履きが目に当たるような事態になったのか、自分でもよく覚えていないが、小学生は当たり前のように上履きを人に向かって投げるものなのだろう。
上履きほどの重量物が目に当たると激痛なので、痛みから回復すると(泣きながら)投げた本人に向かって全力で攻撃したものだった。すると、周りの同級生たちも自然とこの争いに参加し、なぜか闘牛のように私とクラス全員が戦っていたりした。
実は、こういったことが複数回あったので、それを遊びとしてやろうと提案されたのが上記合戦だったのだ。
【痛み】
結局、子どもの腕力などたかが知れたもので、蹴りがまともに入ってもちょっと痛い程度のことでしかなかった。
それより、先生から貰う罰の方が遥かに痛く、特に、3年の担任だったF先生の「もみじ」は畏敬の対象だった。太ももにビンタされた後に(小学生は常時半ズボン)手形がもみじのように残ることから、この名前がついた。もみじの跡は勇気の証でもあった。
しかし、さらに痛いものがあった。ドッジボールで先生が本気で投げた球である。これを受け損なったときの衝撃はかなりのものだったが、それでも先生の投げた球をキャッチするのは多くの生徒の目標だった。
やや余談になるが、小学生の頃、母もよく暴力をふるった。
子どもの頃の痛みのランキングは以下の通りであり、この順番で権威があった。痛みと権威は相関する。
先生が放つドッジボールの玉≧先生>母>子ども集団
【法】
子どもは暴力に怯えるが、結局は一過性でしかない。真に人間を恐怖せしめるのは肉体の痛みではない。子ども集団、学校内で最も恐ろしいのは、喧嘩でも先生でも女子でもなかった。子ども集団がもつ暗黙の法に触れることが何よりも恐ろしかった。
たとえば、学校内で大便することは大変な落ち度で、これが発覚すると、かなりの期間にわたり、子ども集団の序列で最下層に置かれた。他にも独自の価値観や美意識が無数にあり、集団を取り巻く環境と合わせて、学校生活を制限していた。
私が知る限り、子どものイジメというのは、子ども集団の道徳・倫理・法(以下、法)に触れた子どもに対する報復でしかなかった。そこに居たのは、いじめる側といじめられる側ではなく、一般市民と犯罪者だった。そして、犯罪の程度によって、その罪を負う期間も決まった。子どもを野蛮人程度にしか見ないから理解できないだけで、イジメとは、独特な子ども集団の正常な姿でしかない。
子どもの法は、明文化もされていないし、慣習的ですらなかったりする。しかし、そこには確実に法が存在し、誰一人そこから逃れられず、法に触れた時点での序列すら何の役にも立たない。なぜなら、それこそが序列を決定するものだったからだ。
以上からお分かり頂けたと思うが、子ども集団はプリミティブな人間集団の一類型でしかない。そこには曖昧ながらも秩序が存在し、社会を形成している。暴力はそこにおいて権威的ではあるが、絶対視されているわけでもない。子ども社会の法と無関係に先生に制裁されたとしても、それは子どもにとって本質的な恐怖を喚起しない。むしろ、法の外からの攻撃を耐えた勇者でしかない。
【恐怖】
真に私が恐れたのは、暴力を一切ふるわない父から嫌われることだった。
最も重要なのは序列である。父は序列で唯一にして最高の位置にあった。それがどのように決定されるかや、全順序か半順序かはともかく、最高序列との繋がりを絶たれることが何よりも恐ろしかった。
順序は人間のハタラキの重要部分である。順序は秩序の中核であり、最高秩序は最高価値を意味する。ツォルンの補題より、帰納的順序集合は極大元をもつので、一般の秩序は常に局所的な最高秩序をもつ。
【余談】
小学生の頃は、男子と女子に分かれて世界最終戦争を戦っていたが、他に経験者がいなくて困っている。もちろん、異なる秩序をもつ集団は不倶戴天の敵だからである。
女子は常に先生の権威(=先生の暴力の権威)をかさにきていたが、上述のF先生は男女平等に無価値扱いする素晴らしい先生で、男子からは大人気だった。
小学校とは、最高価値に向かって最終戦争を戦い抜く聖戦士たちの痕跡なのである。