交換の理論と社会科学の近代化
【序】
私が普段から公言している「軍事学の構築」とは、本当のところ政治学や経済学と同列としての軍事学ではなく、それらすべて(少なくとも経済および軍事)の基礎付けとなる「社会現象の原理に関する学」のことである。
本当は社会学と言いたいのだが、「あの」社会学と誤解されると嫌なので、上記のように説明している。
【テクストなんちゃら】
最初に「交換」によって一般化することを宣言する。
「交換の非可換性」から「系」までが経済学における交換の話で、「双方利益を得るモデル」。
「キル・レシオ」から「ネガティブ・サム・ゲーム」までが軍事における交換、つまり「双方不利益を被るモデル」。
「ゲーム一般」「交換一般」は交換一般の理論に移行する途中力つきた痕跡。
「中断」「余談」はただの余談。
【アイディア】
交換は経済学において語られるが、より一般化し、社会科学全般の基礎付けに利用できるのではないか。
【一般化】
経済学における交換は、双方が利益を得る場合のみを論じていると考える。
2者間のモデルのとき、利益/不利益によって4(3)通りの場合が考えられる。経済学における交換は、そのうちの1つのみに着目していると考える。さらに、利益/不利益に加えて「どちらでもない」を認めると、9(6)通りが考えられる。括弧内は2者を区別しない場合。
【交換の非可換性】
交換現象は非可換である。2物について、
{i,j}→{j,i}, {i,j}≠{j,i}
f({i,j})<f({j,i})
が交換を表していると考える。fは1価変数。
非可換性と非線形性は対応しているので、線形性を前提とした議論は一般に成り立たない。
可換は要するに交換可能という意味だが、経済学における交換は非可換である。こうしてみると、この交換という概念は、学術用語と日常用語を混同した場合に著しく混乱することが予想できる。
交換の非可換性は公理である。このような性質を含む現象を交換と呼ぶと宣言しているに過ぎない。ただ、可換性との兼ね合いは微妙なところがあるので、一般に非可換であるなどとするのが穏当だ。環が一般に非可換環であるように。
交換の性質をすべて明らかにしたわけではなく、あくまでも非可換性に着目したのみである。また、何が交換かは、何が集合かと同じくらい繊細な問題で、一般に物を入れ換えたから交換だとは言えない。
より一般的な交換理論によって非可換性を必要としなくなるかもしれない。
【アダム夫人とスミス夫人】
実は上記だと、全体として正だと交換が起こるとしてしまっている。
先に仮定した限りだと、「双方」が利益を得なくてはならないので、2者2物として、
f(i)<f(j), f:アダム夫人
g(j)<g(i), g:スミス夫人
となる。
【行列ゲーム】
上記のf,gが定数関数だと、なんだか困る。
そこで、f,gを一般の関数にする。ただし、線形性を前提にした議論は一般に成り立たないとしており、特に逓減するようにしなくてはならない。どうなるかはまだ考えていないが、ちょっと怪しい。
【行列ゲームの拡張】
なんだか上の話だけでは詰まらなそうだ。
そこで、f,gを決まった関数にするのではなく、関数の関数にするアイディアがある。
関数の関数は、集合の集合と同じく慎重に扱う必要があるので、少々厄介になる。
【状態遷移方程式】
では、ある関数が別の関数に写るのはどういう時か考えないといけない。
色々なことが考えられるが、1つには、N商品モデルにN+1種目の商品が加えられるという形で考えうる。
【商品の類別】
一般に考えると、Nは3万とか10万になってしまって困る。ただ、人は何万もの商品を認識しているわけではないし、上級財・下級財というような概念もある。
扱える程度の種類の商品群に類別することが妥当ではないか。また、大半の商品については「知らない」ので行列の大半の項は0だと考えてもよい。
【可換と時間】
可換性は時間(絶対時間としておく)と関係がある可能性がある。そこから、遷移する関数は時間依存の微分方程式であるとする。
厳密に可換でなくとも、すべて非可換=非線形とし、半線形微分方程式のような「疑似線形」的な部分があると考えても十分。ある特定の時系列のみを取り出したときに可換と見なせるとも考えられる。
【系】
単一の系か複数の系が相互に作用していると考えるか。
【キル・レシオ】
キル・レシオはいわゆる戦力評価(ランチェスターのモデルにおける係数)というやつだが、これについては今回の内容ではないので、立ち入らないことにする。
とにかく、キル・レシオという表現があるので、軍事的な交換もありうるのではないかと思うに至った。要するに、経済が正和な交換なら、軍事は負和な交換であるということだ。
【等価交換って歴史上存在したことがあるんですか?】
キル・レシオ通りだと「等価」な損失だというような話になりがちだが、これはもう極めて怪しい。
むしろ、お互いがお互いにとって「相手よりも好ましい」損失で済んだと考えることだってありうるはずだ。
A「こちらは1機落とされたが、相手を3機落としたのでよし」
B「3機落とされたが、1機落としたのでよしとする」
と双方が同時に考えたって別にいいだろうということだ。などと考えていたわけだが
...続く
【ネガティブ・サム・ゲーム】
まともな作戦級ウォーゲームは、資源的には負和ゲームとして作られている。決められた兵力と増援だけで作戦を遂行するのだから当たり前だ。
キル・レシオには「誰にとっての」損失なのかという厄介な評価の問題(先ほどの例で言えば、アダム夫人やスミス夫人の効用関数のような)が関わってく る。とにかく面倒なのは、戦争全体から見れば「相手の人員や機材に損害を与える」ことが直接の目的とはなりにくいために、それ自身の利益・不利益を論じる のが難しいということだ。
独ソ戦のウォーゲームでは、独軍のユニットを飛ばすとソ連がVPを得ることが多いが、別にファシストを殺すと効用を得られるということではなくて、戦争全体の勝利に有意に貢献すると判断されるからであり、もっと言えばただの娯楽ゲーム的都合でもある。
とにかく、決められただけ与えられる資源と消耗する資源が一致している点からして、「双方不利益を被る」ゲームであると見なしてよいだろう。
【ゲーム一般】
戦争全体が負和ゲームであるとまでは断定できない(そもそも1つのゲームかも不明)し、各プレイヤーに限定すればなおさら負である保証はない。何によって評価するかに依るし、戦争全体を評価する1価関数はありそうもない。
「戦争利得者の旗」というWW1の風刺画を思い出していた。WW2が終わったら、アメリカは押しも押されぬ強国になっていたが、あれは相対的に損が少なかっただけだろうか。それなら風刺画通り、WW1のアメリカはどうだろうか。
経済は双方正なるゲームを扱い、軍事が双方負なるゲームを扱ったとして、他にもゲームの種類はある。
一方的移転はどうだろうか。一方的移転は、一般に考えて片方が正で片方が負だ。
そもそもゲーム一般として考えれば、各プレイヤーの得点は正にも負にもなりうる。
【交換一般】
交換という言葉から、人と人の物のやり取りというイメージを捨てて、閉じた系で何かを入れ換えることによって、あるものが別のものに写されるようなことと考える。
また、入れ換えるarrowが成立するためには、たとえば貨幣の存在を必要とするような、交換の前提を必要とする。
【中断】
疲れて何も考えられない。
【余談】
戦争を社会事象としているのに対し、軍事はより専門的な諸分野の1つとしている。
私は普段からこの使い分けをしているが、あまり分かり易くはないようだ。クラウゼヴィッツ学会の人と話をしたときもそれを痛感した。
政治がどういうゲームなのか知りたい。
私が普段から公言している「軍事学の構築」とは、本当のところ政治学や経済学と同列としての軍事学ではなく、それらすべて(少なくとも経済および軍事)の基礎付けとなる「社会現象の原理に関する学」のことである。
本当は社会学と言いたいのだが、「あの」社会学と誤解されると嫌なので、上記のように説明している。
【テクストなんちゃら】
最初に「交換」によって一般化することを宣言する。
「交換の非可換性」から「系」までが経済学における交換の話で、「双方利益を得るモデル」。
「キル・レシオ」から「ネガティブ・サム・ゲーム」までが軍事における交換、つまり「双方不利益を被るモデル」。
「ゲーム一般」「交換一般」は交換一般の理論に移行する途中力つきた痕跡。
「中断」「余談」はただの余談。
【アイディア】
交換は経済学において語られるが、より一般化し、社会科学全般の基礎付けに利用できるのではないか。
【一般化】
経済学における交換は、双方が利益を得る場合のみを論じていると考える。
2者間のモデルのとき、利益/不利益によって4(3)通りの場合が考えられる。経済学における交換は、そのうちの1つのみに着目していると考える。さらに、利益/不利益に加えて「どちらでもない」を認めると、9(6)通りが考えられる。括弧内は2者を区別しない場合。
【交換の非可換性】
交換現象は非可換である。2物について、
{i,j}→{j,i}, {i,j}≠{j,i}
f({i,j})<f({j,i})
が交換を表していると考える。fは1価変数。
非可換性と非線形性は対応しているので、線形性を前提とした議論は一般に成り立たない。
可換は要するに交換可能という意味だが、経済学における交換は非可換である。こうしてみると、この交換という概念は、学術用語と日常用語を混同した場合に著しく混乱することが予想できる。
交換の非可換性は公理である。このような性質を含む現象を交換と呼ぶと宣言しているに過ぎない。ただ、可換性との兼ね合いは微妙なところがあるので、一般に非可換であるなどとするのが穏当だ。環が一般に非可換環であるように。
交換の性質をすべて明らかにしたわけではなく、あくまでも非可換性に着目したのみである。また、何が交換かは、何が集合かと同じくらい繊細な問題で、一般に物を入れ換えたから交換だとは言えない。
より一般的な交換理論によって非可換性を必要としなくなるかもしれない。
【アダム夫人とスミス夫人】
実は上記だと、全体として正だと交換が起こるとしてしまっている。
先に仮定した限りだと、「双方」が利益を得なくてはならないので、2者2物として、
f(i)<f(j), f:アダム夫人
g(j)<g(i), g:スミス夫人
となる。
【行列ゲーム】
上記のf,gが定数関数だと、なんだか困る。
そこで、f,gを一般の関数にする。ただし、線形性を前提にした議論は一般に成り立たないとしており、特に逓減するようにしなくてはならない。どうなるかはまだ考えていないが、ちょっと怪しい。
【行列ゲームの拡張】
なんだか上の話だけでは詰まらなそうだ。
そこで、f,gを決まった関数にするのではなく、関数の関数にするアイディアがある。
関数の関数は、集合の集合と同じく慎重に扱う必要があるので、少々厄介になる。
【状態遷移方程式】
では、ある関数が別の関数に写るのはどういう時か考えないといけない。
色々なことが考えられるが、1つには、N商品モデルにN+1種目の商品が加えられるという形で考えうる。
【商品の類別】
一般に考えると、Nは3万とか10万になってしまって困る。ただ、人は何万もの商品を認識しているわけではないし、上級財・下級財というような概念もある。
扱える程度の種類の商品群に類別することが妥当ではないか。また、大半の商品については「知らない」ので行列の大半の項は0だと考えてもよい。
【可換と時間】
可換性は時間(絶対時間としておく)と関係がある可能性がある。そこから、遷移する関数は時間依存の微分方程式であるとする。
厳密に可換でなくとも、すべて非可換=非線形とし、半線形微分方程式のような「疑似線形」的な部分があると考えても十分。ある特定の時系列のみを取り出したときに可換と見なせるとも考えられる。
【系】
単一の系か複数の系が相互に作用していると考えるか。
【キル・レシオ】
キル・レシオはいわゆる戦力評価(ランチェスターのモデルにおける係数)というやつだが、これについては今回の内容ではないので、立ち入らないことにする。
とにかく、キル・レシオという表現があるので、軍事的な交換もありうるのではないかと思うに至った。要するに、経済が正和な交換なら、軍事は負和な交換であるということだ。
【等価交換って歴史上存在したことがあるんですか?】
キル・レシオ通りだと「等価」な損失だというような話になりがちだが、これはもう極めて怪しい。
むしろ、お互いがお互いにとって「相手よりも好ましい」損失で済んだと考えることだってありうるはずだ。
A「こちらは1機落とされたが、相手を3機落としたのでよし」
B「3機落とされたが、1機落としたのでよしとする」
と双方が同時に考えたって別にいいだろうということだ。などと考えていたわけだが
...続く
【ネガティブ・サム・ゲーム】
まともな作戦級ウォーゲームは、資源的には負和ゲームとして作られている。決められた兵力と増援だけで作戦を遂行するのだから当たり前だ。
キル・レシオには「誰にとっての」損失なのかという厄介な評価の問題(先ほどの例で言えば、アダム夫人やスミス夫人の効用関数のような)が関わってく る。とにかく面倒なのは、戦争全体から見れば「相手の人員や機材に損害を与える」ことが直接の目的とはなりにくいために、それ自身の利益・不利益を論じる のが難しいということだ。
独ソ戦のウォーゲームでは、独軍のユニットを飛ばすとソ連がVPを得ることが多いが、別にファシストを殺すと効用を得られるということではなくて、戦争全体の勝利に有意に貢献すると判断されるからであり、もっと言えばただの娯楽ゲーム的都合でもある。
とにかく、決められただけ与えられる資源と消耗する資源が一致している点からして、「双方不利益を被る」ゲームであると見なしてよいだろう。
【ゲーム一般】
戦争全体が負和ゲームであるとまでは断定できない(そもそも1つのゲームかも不明)し、各プレイヤーに限定すればなおさら負である保証はない。何によって評価するかに依るし、戦争全体を評価する1価関数はありそうもない。
「戦争利得者の旗」というWW1の風刺画を思い出していた。WW2が終わったら、アメリカは押しも押されぬ強国になっていたが、あれは相対的に損が少なかっただけだろうか。それなら風刺画通り、WW1のアメリカはどうだろうか。
経済は双方正なるゲームを扱い、軍事が双方負なるゲームを扱ったとして、他にもゲームの種類はある。
一方的移転はどうだろうか。一方的移転は、一般に考えて片方が正で片方が負だ。
そもそもゲーム一般として考えれば、各プレイヤーの得点は正にも負にもなりうる。
【交換一般】
交換という言葉から、人と人の物のやり取りというイメージを捨てて、閉じた系で何かを入れ換えることによって、あるものが別のものに写されるようなことと考える。
また、入れ換えるarrowが成立するためには、たとえば貨幣の存在を必要とするような、交換の前提を必要とする。
【中断】
疲れて何も考えられない。
【余談】
戦争を社会事象としているのに対し、軍事はより専門的な諸分野の1つとしている。
私は普段からこの使い分けをしているが、あまり分かり易くはないようだ。クラウゼヴィッツ学会の人と話をしたときもそれを痛感した。
政治がどういうゲームなのか知りたい。