戦史研創立五十周年を記念して | Study Hard

戦史研創立五十周年を記念して

 かつて私は、あることを確認したいと考え、有望な青年を犠牲にしてまでその機会を得ました。その結果は予想通りであり、私は安心してそれを無視できるようになりました。

 軍事研究の禁止とは、純粋な感情論であり、それを無知と盲目によって運用しているのみです。従って、この規定を合理的に廃止ないし変更することは不可能です。このような規定を是とする感情とともに自然と消滅するものに他なりません。
 軍事研究の禁止という文言の意味するところは、決して軍事的応用の禁止ではなく、戦争のイメージに直結する事物を感情的に大学の場から排除することです。その戦争に対するイメージたるや、規則の運用者の無知と貧弱なイメージに裏打ちされており、概ね戦闘に対する茫漠としたそれに過ぎません。具体的には、銃、装甲張りの厳つい車、あるいは戦争を想起せしめる単語などが締め出しの対象です。
 今日も、理学部や工学部では、軍事的応用に役立つ素晴らしい成果が次々と生まれていますが、誰もそれを咎めるものはいません。

 無知で愚かな運用者たちを教育しようという気持ちは不要です。どれほど時代に置き去りにされようと、個人を変えることは出来ません。ただ、彼らが死ぬのを待つしかありません。あるいはその次の運用者たちも同様ならば、その次の運用者たちも死ぬのを待つのみです。
 大学の方針として軍事研究の禁止を打ち出すならば、受け入れるかその大学を去るかしか選択肢はありません。その規則を以て具体的に学問の自由を侵害する事態において、始めてこの規則は無効の疑いを持たれるに過ぎません。また、この問題は学生とは無関係であり、このような規則によって研究を制約されることも制約することもありません。

 皆さんは、十分待ったと言えるでしょう。
 ご入学おめでとうございます。