空位の空位 | Study Hard

空位の空位

 おかしい。
 最近戦史研員が多すぎる。都合のいい戦史研員が。

 サークルってのは下克上しに入るもんじゃないのか。サークルってのは革命するために入るもんじゃないのか。
 下級生というのは上級生に対してあからさまな疑惑の眼差しを向け、その一字一句に目を光らせ無知をあげつらい、その行動の問題点を逐一指摘し、隙あらば居場所を奪い去ろうとするものだ。

 俺は夢を見ているのだ。都合のいい夢を。
 俺はサークルがこんなに都合のいいもんじゃないと知っている。構成員をして敵よりも味方の仕打ちを恐れせしめるのがサークルだ。
 サークルとは、考えられないほどの留年を繰り返し、ほんの一握りの人間だけが生き残ることのできる極限の社会だ。どんなサークルの長老も、最後は商鞅のごとく自縄自縛によって消え去るのみだ。そして最も良く屍に鞭打った者が新たな地位を得る。

 私はあまりにも多くを駒場から見送った。そろそろ私の番であって然るべきだ。
 ある人物を駒場から追い出したとき、父は「首切り役人も共に去るべきだ」と言っていた。今になって私はその意味が良くわかる。
 常に私も時代の流れの中の1人である。だから私はサークルからも去らなくてはならない。その兆候が見られないことを危惧する。25年を2人で支えたサークルが存在したことをこの時代に知る必要はないのだから。

 たった1つ確かなのは、駒場は特定の誰をも必要としていないということだ。
 駒場の暗部は、結局のところ「すべて」に渡って特定の人物が長く存在することに起因していた。善悪とは何の関係もなく、駒場は1人の人間が「必要以上に」長く存在するようには出来ていないのである。彼らが幾ら善悪を論じようと、それがすべてだったように思う。
 これが民間団体や国ならまったく話が違っただろう。死ぬまで所属していても何も文句は言われない。しかし駒場は民間団体でも国でもなく、私企業や国だと勘違いした人たちが問題を起こした。
 勉強する気が無いなら去る。これが駒場(あるいは大学)の原理である。就職しか考えないノンポリは4年で大学を通り過ぎ、やる気を無くした自治団体員は祖国に帰り、原理に逆らった人間は僭主になった。

 多くにとってその違いは無意味だろうが、私の居なかった駒場は少し違う場所だったはずだ。少なからぬ禍根も残したが、それは時間と共に収束するだろう。
 私を憎む人には、いつの日か憎しみが潰えた頃に少しだけ思い出してくれたらと思う。個人は善悪以前に意志を持っているということ、そして私は彼らを少しも憎んではいなかったことを。