非モテ概念の救済のために(2)
しかし共和国がCO2排出権取引に参加したら大儲けだよな。いい時代になったもんだ。
【2006-11-7】
『「努力が足りない」』
受験を難なく勝ち抜いて来た読者諸兄なら理解されようが、努力のノルム(※)よりも努力のベクトルが大切である。そして受験程度、適切にやれば誰だってそれなりには成果が上がるのである(どのような成果でも上げられるとまでは言わないが)。むしろ受験程度のことでまったく成果が上げられないとしたら、それこそ才能である。
ところで、話題の的である「広義のコミュニケーション能力の帰結としてのモテ・非モテ」なる言説はそのような議論に馴染むのかということだ。
※一般に努力のノルムとは1次ノルムのことだが、例えば院試などは多数の問題から得意分野に絞って解答することが可能であったりするのでp次ノルムの極限(つまりsup)が努力のノルムになるかもしれない。何が努力量を決定するかも場合に依るわけだ。
『カール・ルイスが努力すれば100mを10秒で走れると乙武洋匡に言』
うという表現が書記長は好きなようだが、要するに馴染まないと言いたいのだろう。努力ではなく生与、不変であると。あるいは社会的に決定されていると言いたいのかもしれないが、書記長の言う「ロール・プレイ能力の多寡」が社会的にどのように決定されるという主張なのか分からないので、良く分からない。
ところで100mを10秒で走ることとモテることはどのように関連付けられるのだろうか。例えば10秒は無理でも12秒なら出来るというような程度の問題なのか、そもそも走れないだろうと言っているのか、はたまた道具の助けを借りれば7秒だって可能と言いたいのか。
それから私が生与、不変という表現を使うのは書記長が階級という単語を使うからだ。ユダヤ人であることは努力では変えられないが、そのような意味ならしっくり来るからだ。ただこの場合は、ユダヤ人的である度合いなどといった相対的定量的な概念では一切ないので、やっぱり書記長のモテ-非モテ階級理論とは馴染まない。
『モテる者はますますモテ、モテないものはますますモテない』
絶対的窮乏化仮説の剽窃であるのは直ちに理解されるが、窮乏化仮説の是非を脇に置いておくとしても、まだ判然としない。
注意:以下の文章を読む場合には経済用語の常識をすべて捨てて下さい。
仮説の前提には「金が金を生む」といった希望に溢れた考えがあり、資本論の中で簡単なモデルを立てて説明されている(そこで導入された記号は便利なので、今でも文脈と無関係に利用されているとか)。当然金を置いておいても分裂したりしないので、では何を言いたいのかというと、金、商品、作物などの「形態」を経由しながら「資本」が拡大再生産されていくという明るい農業社会が前提となっている。資本論と言うくらいだから資本の話なのだが、現在で言う資産や商品(必ず売れる!)もひっくるめて「資本の一形態」としているので、現代人には酷く分かり辛い。
ここまで言えばすぐに分かるだろうが、これは労働価値説(※)と前提を同じくする。すると書記長の説を勝手に解釈するなら、「コミュニケーション能力資本」が「モテ資本」を産み、逆も同様であり、その絶え間ない「(モテ)資本の運動」に依って「コミュ能力資本がコミュ能力資本を生み」「モテる者はますますモテる」ということになる。
※リカードの説であるが、リカード自身は賢明にも提唱しただけに留めた。痩せた土地が広大に余っており農業中心であったかつてのヨーロッパを前提としている。
さらに解釈するなら、ここで書かれたモテとは1人の対象に深く関わるようなものではなく、「痩せたモテの広野を彷徨う」ようなものだということになるだろう。またここで言う広義のコミュニケーション能力=ロール・プレイ能力とは、万人向けであり際限なく上昇するものだとも解釈できる。
ここまで解釈すると、書記長の「モテ」に対するイメージが鮮明になってくるではないか。コミュニケーション能力を武器に日がな相手を取っ替え引っ替え表層的な「モテ行為」に興じる人という感じか。
※This is a hentai.
ところでこの仮説には致命的な、あまりにも致命的な欠陥がある。つまり書記長は自分の「モテ度」が0でないと告白したわけだ。そして0になる前に暴動を起こす、と。
『外部化(脱モテ)出来る人間というのは全てではない』
というのは、書記長が「モテ度0に堪え得ない」人間であるという説を補強するものである。そして飲み会で「0でええやん」と思ってる悪い人たちに今日も弄られる。
『タンタル』
タンタルは弾芯に適している。高いから使わないけど。
【2006-11-8】
『所有と隷属』
所有どころか共有もしてない。隷属と言われても意味が分からない。基本的に脳内の出来事に社会は干渉しないのだ。
『数学的障壁』
「数学が出来ない奴とは付き合えない」
『シミュレーション』
後に続く文章と併せると意味が不明瞭。シミュレーションなのか、差異がないのか、どっちなのだろうか。
もちろん私は後者であって欲しいのだが。hentai理論体系的な意味で。
『クラウゼヴィッツ』
モテ業界のナポレオンは?
『暴力』
まだ書記長は他人に狂気を叩き付けるのに慣れていないようだが。
【2008-4-15 コメント欄】
自分が言ったことを書記長の考えだとすり替える面白い人がいる。私のコメント欄にはどうしてああいう面白い人が居着いてくれないのだろうか。やはりこのブログには真性(≠コメント職人)が居着き辛い常識的空気が漂っているからだろうか……
【2006-11-7】
『「努力が足りない」』
受験を難なく勝ち抜いて来た読者諸兄なら理解されようが、努力のノルム(※)よりも努力のベクトルが大切である。そして受験程度、適切にやれば誰だってそれなりには成果が上がるのである(どのような成果でも上げられるとまでは言わないが)。むしろ受験程度のことでまったく成果が上げられないとしたら、それこそ才能である。
ところで、話題の的である「広義のコミュニケーション能力の帰結としてのモテ・非モテ」なる言説はそのような議論に馴染むのかということだ。
※一般に努力のノルムとは1次ノルムのことだが、例えば院試などは多数の問題から得意分野に絞って解答することが可能であったりするのでp次ノルムの極限(つまりsup)が努力のノルムになるかもしれない。何が努力量を決定するかも場合に依るわけだ。
『カール・ルイスが努力すれば100mを10秒で走れると乙武洋匡に言』
うという表現が書記長は好きなようだが、要するに馴染まないと言いたいのだろう。努力ではなく生与、不変であると。あるいは社会的に決定されていると言いたいのかもしれないが、書記長の言う「ロール・プレイ能力の多寡」が社会的にどのように決定されるという主張なのか分からないので、良く分からない。
ところで100mを10秒で走ることとモテることはどのように関連付けられるのだろうか。例えば10秒は無理でも12秒なら出来るというような程度の問題なのか、そもそも走れないだろうと言っているのか、はたまた道具の助けを借りれば7秒だって可能と言いたいのか。
それから私が生与、不変という表現を使うのは書記長が階級という単語を使うからだ。ユダヤ人であることは努力では変えられないが、そのような意味ならしっくり来るからだ。ただこの場合は、ユダヤ人的である度合いなどといった相対的定量的な概念では一切ないので、やっぱり書記長のモテ-非モテ階級理論とは馴染まない。
『モテる者はますますモテ、モテないものはますますモテない』
絶対的窮乏化仮説の剽窃であるのは直ちに理解されるが、窮乏化仮説の是非を脇に置いておくとしても、まだ判然としない。
注意:以下の文章を読む場合には経済用語の常識をすべて捨てて下さい。
仮説の前提には「金が金を生む」といった希望に溢れた考えがあり、資本論の中で簡単なモデルを立てて説明されている(そこで導入された記号は便利なので、今でも文脈と無関係に利用されているとか)。当然金を置いておいても分裂したりしないので、では何を言いたいのかというと、金、商品、作物などの「形態」を経由しながら「資本」が拡大再生産されていくという明るい農業社会が前提となっている。資本論と言うくらいだから資本の話なのだが、現在で言う資産や商品(必ず売れる!)もひっくるめて「資本の一形態」としているので、現代人には酷く分かり辛い。
ここまで言えばすぐに分かるだろうが、これは労働価値説(※)と前提を同じくする。すると書記長の説を勝手に解釈するなら、「コミュニケーション能力資本」が「モテ資本」を産み、逆も同様であり、その絶え間ない「(モテ)資本の運動」に依って「コミュ能力資本がコミュ能力資本を生み」「モテる者はますますモテる」ということになる。
※リカードの説であるが、リカード自身は賢明にも提唱しただけに留めた。痩せた土地が広大に余っており農業中心であったかつてのヨーロッパを前提としている。
さらに解釈するなら、ここで書かれたモテとは1人の対象に深く関わるようなものではなく、「痩せたモテの広野を彷徨う」ようなものだということになるだろう。またここで言う広義のコミュニケーション能力=ロール・プレイ能力とは、万人向けであり際限なく上昇するものだとも解釈できる。
ここまで解釈すると、書記長の「モテ」に対するイメージが鮮明になってくるではないか。コミュニケーション能力を武器に日がな相手を取っ替え引っ替え表層的な「モテ行為」に興じる人という感じか。
※This is a hentai.
ところでこの仮説には致命的な、あまりにも致命的な欠陥がある。つまり書記長は自分の「モテ度」が0でないと告白したわけだ。そして0になる前に暴動を起こす、と。
『外部化(脱モテ)出来る人間というのは全てではない』
というのは、書記長が「モテ度0に堪え得ない」人間であるという説を補強するものである。そして飲み会で「0でええやん」と思ってる悪い人たちに今日も弄られる。
『タンタル』
タンタルは弾芯に適している。高いから使わないけど。
【2006-11-8】
『所有と隷属』
所有どころか共有もしてない。隷属と言われても意味が分からない。基本的に脳内の出来事に社会は干渉しないのだ。
『数学的障壁』
「数学が出来ない奴とは付き合えない」
『シミュレーション』
後に続く文章と併せると意味が不明瞭。シミュレーションなのか、差異がないのか、どっちなのだろうか。
もちろん私は後者であって欲しいのだが。hentai理論体系的な意味で。
『クラウゼヴィッツ』
モテ業界のナポレオンは?
『暴力』
まだ書記長は他人に狂気を叩き付けるのに慣れていないようだが。
【2008-4-15 コメント欄】
自分が言ったことを書記長の考えだとすり替える面白い人がいる。私のコメント欄にはどうしてああいう面白い人が居着いてくれないのだろうか。やはりこのブログには真性(≠コメント職人)が居着き辛い常識的空気が漂っているからだろうか……