まあやめとくか | Study Hard

まあやめとくか

 文系の特徴は、頭の良さを競うこと。理系の特徴は、頭の良さに頼らないこと。

 地下鉄の車内だったかな、旅行中に交わした何気ない会話を思い出した。そこで俺はこんなことを言っていたわけだ。もちろん2割は冗談だ。
 実際にはもっと複雑な文脈の中で言っていたのであり、また上記の表現はやや扇情的に過ぎるものの、一定の高等教育を受けた人には何を言いたいか(そして 何が冗談か)理解されるだろう。そしてこれらの言説の根底に、俗に「論理」などと呼ばれる得体の知れない直観が絡んでいることも理解されると思う。

 またぞろ彼らの話で申し訳ないが、民青が何について不寛容かを、主張ではなく論理の点から理解できると、自分の思い通りにならないと怒る人には複数のパターンが存在することがわかる。
 小学生は単純に自分の望んだ結果にならないことに怒るだけだが、民青は自分と同じ論理を使っていないことに怒る。つまり彼らは同じ結論を出すことは望んでいないものの、その根本を理解できないものに対して怒るのであり、単なる主張の対立を超えた問題を引き起こす。
 この辺りが明確でないと、民青を単に結果に怒っているだけの「結果平等主義者」のように扱うことになり、本当の民青はもっと悪質だということが理解でき ない。民青の構成員の1人が「水曜の夜」に私に対して「頭が悪い」と吠えていたのは、単なる悪口というよりは、もっと深い病理の表れである。

※水曜の夜とは、水晶の夜と関係あるようで関係ない何か。

【動機とか動機以外とか】
 ρが(A)の名を騙ってアレに得点をつけて回っていたのだが、そこからこの記事にどう関連してくるのかは2ステップを踏まねばならないので略。

 最近は「評論家=レビュアー」という仕事が確かに「点数レビュアー」とはまったく別に必要だなと痛感する。ここで言う評論家とは中間的存在のことであ り、プロとアマ、設計者と運用者、生産者と消費者、制作者とプレイヤーを繋ぐような何かのことだ。この評論家は例えば歴史家のような役割だとも言える。史 料を発掘し、歴史的事実を現代人に提示してくれる。一方で「点数レビュアー」たちがやっているのは、いわゆる口コミである。
 この辺りについては、「漫画読み」の人たちがはてな近辺で「余が単なる漫画好きとどう違うか」という内容において力説して下さっていることだから深く立ち入らないことにしておこう。もちろん評論家が評論の一貫として点数をつけることは有り得るので誤解のないよう。

【結局なんなのか】
 SF作品へのオマージュを込めたエロゲとそれを取り巻く色々を観ていると切なくなる。それは「分かる人には分かる作品」と「万人向け作品」の境界の曖昧さに想いを馳せさせてくれるからだ。