sensikenのやさしい理解のために
【予備知識】
戦史研暗黒時代(2000?-2003)は新入生がまったく定着せず戦史研の滅亡が囁かれていた時期のことである。
次に敗戦処理時代(2003-2005)が訪れ、奇妙な新入生を迎えて戦史研は存続するも、混乱甚だしく事実上機能不全に陥っていた時代である。但し新歓に繋がる活動だけは一応なんとかしていたと記憶しているが、嘘っぽい。
なお括弧内の年代は、年度ではなく単に西暦を指すのみである。戦史研は全般に代謝に乏しく、新入生の顔ぶれによって直ちに性格が変わることは少ない。
【第1期(2005-2006)】
sensiken第1期は、総統が勝利するセカイと呼ばれる。
灰燼から復活しつつあったsensikenは新秩序を要請していた。時を同じくして戦史研保守勢力に対する攻撃は止み、安定が当面の最も重要な課題であると認識されつつあった。そこで現役生たちは、従来戦史研の枠組みの外に置かれていたが敢えて本来の活動の一貫と位置付けられていたある活動に着目し、その活動の主導権こそが戦史研新秩序の「ペッキングオーダー」を決めるとするに至った。
その活動こそ"p"であった。後にp戦役と呼ばれるこの活動は、実のところ替え歌班の活動の一貫として始まった。替え歌を作るにはまず流行歌謡なりを知らねばならないという理屈である。しかしこの活動を通じて総統の本性が発現するにつれて、他の戦史研員たちもまたこれを単なる替え歌班の延長とは捉えず、むしろ独自の活動であると考えるようになっていった。ところがpを続けて行くうちに、最初は一定の統一性の中での優劣を競うものだったのが、次第に各人の好みのままに活動すれば良いことになり、最終的にはpに対する耐性を競うチキンレースと化した。
ここに勝敗は決し、最強のp耐性を誇る総統の戦略的勝利でp戦役は幕を閉じることになる。これが復興からp戦役の終了までを、S竹君が持って来たある本の題名にかけて、総統が勝利するセカイと呼称する所以である。
なお現在も遺構として複数のVIPカードを確認することができる。
【第2期(2006-2008)】
sensiken第2期は、長い停滞の時代である。第1期と合わせて大空位時代(後述)と呼称されることもある。
この時期にも会員の代謝はあったものの、幾つかの試みも自然に消滅し、ただ日常パートが繰り返されるだけで年月が過ぎ去って行く特筆すべくもない時期であった。但しそれは内部的な事情であり、実は外部に対してはむしろ活発に伸びていた。逆に言えばこれは戦史研員がsensiken以外の活動に熱心だったということでもあり、sensikenは息抜きの場であると位置付けられていたとも見なせる。
何にせよ第1期の安定策は功を奏し、sensikenは安定の時代を迎えた。かつての革新勢力は今や保守勢力と化し、変わらない日々を望んだ。変革は進学を超越した新入生の登場を待たねばならなかった。ちなみに平和の配当は無配だった。
【大空位時代】
大空位時代は2つの特徴を持つ。会長をその場の気分で変更したり、恩来やユリシーマンなどに押し付けたりすることが1つ。もう1つは、会長ないしそれに準ずる立場にあったものが当局によって居なかったことにされてしまう現象である。
前者の特徴はS竹「会長」事件に強い影響を受けている。この事件により、会長という肩書きは、事実上無意味という位置付けから僭称すると面白いものと考えられるようになった。またこの事件は第1期の新秩序の要請とも深く関わっており、sensiken戦史を知る上で外せない重要な出来事である。
後者については、戦史研暗黒時代以前からあった流れでもある。Mさん、水雷長、そしてρと続く伝統と言ってよろしい。何を意味するかは察して頂きたい。
【第3期(2008-)】
sensiken第3期はたったいま始まった。唐突に始まったわけではなく、停滞の時期に撒かれた種が発現したのが現在だったというだけのことだが、その直接の原因は元凶の1人が去ったという至極簡単なことだ。もちろんそれだけではないが、閾値を超えるのがその点だったというのは偶然ではない。
安定志向へと振れるというのは、言わば道を逸れることを容認することでもある。それがいつしか安定という本来の目的を忘れ「既得権益」と化したとき、それは甚だしい「老害」となって集団を蝕む。これは仲良しサークルの「病理」と言って差し支えない現象であり、これを放置することは集団の代謝を著しく阻害する要因となる。そしてこれを放置し続けると完全に閉じたサークルが完成し、それは1つのサークルの死をも同時に意味する。つまり所属していない人間にとってそのサークルは参加不能という意味で死んだも同然なのだ。
幸運なことに、戦史研は有望な会長を迎えることができた。それは局所的に見れば新しい流れではあるが、これはむしろ不本意ながら私が個人の活動としてなるべくsensikenの活動と分離してきた「反自治団体・セクト的言行」という本来の流れの1つへの回帰でもある。そしてまた、戦史研がその器自体の存続を目的とした時期が終わり、戦史研という器そのものを弄ぶ時代への転換を意味しつつある。
私がつい先日民青に対して戦史研という単語を積極的に発言した理由は、この変革への意志と強い期待の表れでもある。それにも関わらず、第3期の確立とは第2期の相対的な位置付けに成功することである。
【sensikenの終わり】
sensikenの本質は、戦史研暗黒時代の払拭である。sensikenが戦史研に統合されるとき、そこまでのすべては歴史になるのである。
戦史研暗黒時代(2000?-2003)は新入生がまったく定着せず戦史研の滅亡が囁かれていた時期のことである。
次に敗戦処理時代(2003-2005)が訪れ、奇妙な新入生を迎えて戦史研は存続するも、混乱甚だしく事実上機能不全に陥っていた時代である。但し新歓に繋がる活動だけは一応なんとかしていたと記憶しているが、嘘っぽい。
なお括弧内の年代は、年度ではなく単に西暦を指すのみである。戦史研は全般に代謝に乏しく、新入生の顔ぶれによって直ちに性格が変わることは少ない。
【第1期(2005-2006)】
sensiken第1期は、総統が勝利するセカイと呼ばれる。
灰燼から復活しつつあったsensikenは新秩序を要請していた。時を同じくして戦史研保守勢力に対する攻撃は止み、安定が当面の最も重要な課題であると認識されつつあった。そこで現役生たちは、従来戦史研の枠組みの外に置かれていたが敢えて本来の活動の一貫と位置付けられていたある活動に着目し、その活動の主導権こそが戦史研新秩序の「ペッキングオーダー」を決めるとするに至った。
その活動こそ"p"であった。後にp戦役と呼ばれるこの活動は、実のところ替え歌班の活動の一貫として始まった。替え歌を作るにはまず流行歌謡なりを知らねばならないという理屈である。しかしこの活動を通じて総統の本性が発現するにつれて、他の戦史研員たちもまたこれを単なる替え歌班の延長とは捉えず、むしろ独自の活動であると考えるようになっていった。ところがpを続けて行くうちに、最初は一定の統一性の中での優劣を競うものだったのが、次第に各人の好みのままに活動すれば良いことになり、最終的にはpに対する耐性を競うチキンレースと化した。
ここに勝敗は決し、最強のp耐性を誇る総統の戦略的勝利でp戦役は幕を閉じることになる。これが復興からp戦役の終了までを、S竹君が持って来たある本の題名にかけて、総統が勝利するセカイと呼称する所以である。
なお現在も遺構として複数のVIPカードを確認することができる。
【第2期(2006-2008)】
sensiken第2期は、長い停滞の時代である。第1期と合わせて大空位時代(後述)と呼称されることもある。
この時期にも会員の代謝はあったものの、幾つかの試みも自然に消滅し、ただ日常パートが繰り返されるだけで年月が過ぎ去って行く特筆すべくもない時期であった。但しそれは内部的な事情であり、実は外部に対してはむしろ活発に伸びていた。逆に言えばこれは戦史研員がsensiken以外の活動に熱心だったということでもあり、sensikenは息抜きの場であると位置付けられていたとも見なせる。
何にせよ第1期の安定策は功を奏し、sensikenは安定の時代を迎えた。かつての革新勢力は今や保守勢力と化し、変わらない日々を望んだ。変革は進学を超越した新入生の登場を待たねばならなかった。ちなみに平和の配当は無配だった。
【大空位時代】
大空位時代は2つの特徴を持つ。会長をその場の気分で変更したり、恩来やユリシーマンなどに押し付けたりすることが1つ。もう1つは、会長ないしそれに準ずる立場にあったものが当局によって居なかったことにされてしまう現象である。
前者の特徴はS竹「会長」事件に強い影響を受けている。この事件により、会長という肩書きは、事実上無意味という位置付けから僭称すると面白いものと考えられるようになった。またこの事件は第1期の新秩序の要請とも深く関わっており、sensiken戦史を知る上で外せない重要な出来事である。
後者については、戦史研暗黒時代以前からあった流れでもある。Mさん、水雷長、そしてρと続く伝統と言ってよろしい。何を意味するかは察して頂きたい。
【第3期(2008-)】
sensiken第3期はたったいま始まった。唐突に始まったわけではなく、停滞の時期に撒かれた種が発現したのが現在だったというだけのことだが、その直接の原因は元凶の1人が去ったという至極簡単なことだ。もちろんそれだけではないが、閾値を超えるのがその点だったというのは偶然ではない。
安定志向へと振れるというのは、言わば道を逸れることを容認することでもある。それがいつしか安定という本来の目的を忘れ「既得権益」と化したとき、それは甚だしい「老害」となって集団を蝕む。これは仲良しサークルの「病理」と言って差し支えない現象であり、これを放置することは集団の代謝を著しく阻害する要因となる。そしてこれを放置し続けると完全に閉じたサークルが完成し、それは1つのサークルの死をも同時に意味する。つまり所属していない人間にとってそのサークルは参加不能という意味で死んだも同然なのだ。
幸運なことに、戦史研は有望な会長を迎えることができた。それは局所的に見れば新しい流れではあるが、これはむしろ不本意ながら私が個人の活動としてなるべくsensikenの活動と分離してきた「反自治団体・セクト的言行」という本来の流れの1つへの回帰でもある。そしてまた、戦史研がその器自体の存続を目的とした時期が終わり、戦史研という器そのものを弄ぶ時代への転換を意味しつつある。
私がつい先日民青に対して戦史研という単語を積極的に発言した理由は、この変革への意志と強い期待の表れでもある。それにも関わらず、第3期の確立とは第2期の相対的な位置付けに成功することである。
【sensikenの終わり】
sensikenの本質は、戦史研暗黒時代の払拭である。sensikenが戦史研に統合されるとき、そこまでのすべては歴史になるのである。