ぼくのかんがえた真面目な話 | Study Hard

ぼくのかんがえた真面目な話

 最近とみに私は構造という単語を使うが、これは構造主義なるものにかぶれたつもりではなく、単に「ブルバキ的なもの」であるというニュアンスを伝えるために使っているに過ぎない。仮に構造主義なるものがブルバキ的なものであったとしたら、そんな試みは輝かしい失敗に終わるだけだからやめなさいと諭すだろう。

 天才と馬鹿は紙一重という格言がある。これに対する解釈は様々だろうが、天才と馬鹿をほぼ同一視するような範囲や対応に絞った上で格言を妥当することを構造的な解釈と私は言う。つまりブルバキの偉大な遺産を流用する態度を構造的と呼んでいるわけだ。さらに言えば、遺産が実用に供されることはまず無い。

 常々思うのは、定性的な議論に終始していると、このような詭弁がたまに間違って通ってしまうのではないかということだ。なにせ酷い場合は結論を導くような対応を構成してやれば良いだけだ。そんなの通るはずもないと思うかもしれないが、上の格言がまかり通る程度には認められるだろう。少なくとも自分を信じ込ませるための詭弁なら誰も止めるものがいない。

 ほとんどの「ド素人」の「新しい観点」や「独自の観点」というのはこういった「構造的」な誤謬に基づいているのではなかろうかと考えてみた。別に真理を云々する気はないが、陰謀論なども容易に包含する「誤った知の体系」が見えて来るような気がしてきた。

 面倒なので後半の結論部は省略して、皆さんの「構造的」明察にすべてを任せることにする。ちなみに「環の構造」みたいな表現が正しく数学的なので誤解なさらぬよう。