300年後の聡明な人々への弁明 | Study Hard

300年後の聡明な人々への弁明

【弁明】
 傍系さんとヴェルキエ・ルキの話をしていて「Drive to the Baltic!と似たシステムか」と聞かれたのに、何故か「Drive on Stalingradと似たシステムか」と聞かれたと勘違いして「PGGシステムとはちょっと違いますねえ」などと訳の分からない返答をしていた。すいません、TtTやDttBの系列のゲームです。

【記録に残るドイツ、記憶に残るプロイセン】
 そうそう、あと古澤書記長をお迎えするためにプロイセン的プロイセンゲームを探しておかないと。古澤書記長の面白さの9割が「元自のプロイセン狂」という部分にあると思うのは戦史研だけなのだろうか。相変わらずナツメヤシ先生などは「政治運動」方面の視点でしか彼を見ていないようだが。
 ところで本気で皆さんに聞きたいのだが、

・中核派の知り合いがいるデモ主催者
・プロイセン狂の元自衛官

 のどちらが本能的にアレだなと思うだろうか。自分などは見慣れ過ぎたせいか前者には何の危険性も感じないのだが、その辺りのバイアスを差し引いても、あからさまに後者の方が前者の数十倍は「これは何事か」感満載ではないだろうか。
 仮に現役自衛官にプロイセン狂いが何人いようが「あの」自衛隊がそんなことに左右されるわけはないのだが、あまりにも「ベタ」なのでクラクラしないだろうか。明治維新以降の近代化の過程においてどの国のどのような制度が参考にされて来たのかという経緯に関する知識がないとピンと来ないのかもしれないが、まさかこの時代に到ってプロイセン派がいるとは感動すら覚える。よくぞここまで生き延びて下さいました、という感じ。

 まあ国会図書館が旧ドイツ大使館跡に建てられていることすら知らない若者がいるこの時代、かつての大ドイツの偉大が感覚として理解できなくても無理はない。
 なおプロイセンマニアでもプロイセン好きでもなくプロイセン狂という表現を使っているのは意図的なもので、プロイセンほど狂気という概念が似合う時代はないのである。別に馬鹿にしてるわけではなく、羨望の眼差しを以てそう言っているのだ。
 プロイセン–統一ドイツは西欧近代史のメインプレイヤーなので、そこだけは勘違いのないように。

【終末観】
 「日教組の終焉」でググってきた人がいたので自分もググってみた。
 言うべきことがあるとすれば、思い込みや邪推で発言するのは4回に1回くらいにしとけってことかな。
 
 そんななかでこんなブログが出て来た。

 愛・読書博
 [随筆] 天皇の逝く国で
 http://yu1o.blog.ocn.ne.jp/openbook/2006/05/__9f47.html

 このリンク先の文章全体についてどうこう言う気持ちは一切ない。ただこの記事を興味深く読んで、ある文章が心に残った。

『いま右傾化しつつある人も、かつてはかなりの世論の支持を受けていた左派陣営のことをあまりよく知らない。まあ知っていても認めていない人と、本当に知らない人がいて、前者は老獪だが後者は無知である。』

 自身のことを老獪だなどと思ってはいないが、ちょうどこの『知っていても認めていない』というのが酷く自身のことのように思えてならなかったのだ。私はどちらかと言えば彼が言う所の『インターネット世代』という『基本的に無知の層』に属しているはずなのだが、どうにも私の行動は前者だ。
 但し、多くの人が『認めていない』ような意味で私も認めていないのではなく、ちょうど文革世代が中国共産党内部で干されているような意味で「認めていない」のだ。もっと具体的に言えば、時代として「学問に打ち込む以外のことをする言い訳が効き易い」風潮があったと思い、それを嫌っているのである。

 某OB氏が私に紹介してくれたサイトに、

 マルクス主義同志会日本語サイト
 http://www.mcg-j.org/j-index.html

 というのがあるが、ここの様々な論を読むにつけ私はその風潮を感じる。
 例えば宇野学派に対する批判を読むと、「知識人」のような単語を嫌い、学問が活動に結びつかなければ意味がないというようなことをしきりに言う。学問が現実から乖離してあらぬ空論を述べ立てるようでは現実適応性がないという程度のことで言っているのなら私も手放しで賛同するのだが、どうも「理論を活動へ」とでも言うか、要は活動のタシにするためのジャーゴンとしての学問を主張しているように思えてならない。
 それは言ってみれば、米国の戦略研究所などが発表する政策のバックボーンと言うべきか支持政権の擁護と言うべきか迷うような「お話」と大差ない何かであり、典型的な非学問的態度である。

【単純な結論】
 何度も言って来たことだが、私が知っているのはただ勉強しさえすれば良いということだ。それが苦しくて嫌なので、社会だか世の中だかを知っているだの、活動が大事だのと言って逃げ出して来た連中の何と多いことか。そしてそういう連中の何と役に立たないことか。
 学問の山のどれか一つのほんの一合目で良いから登ればわかる。世の中に居る/居たのは、左翼でも右翼でも革新でも保守でもなく、ただの馬鹿の群れだったということが。そして同時にわかるのは、馬鹿だろうと痴呆だろうとどうでも良いということであり、そんな連中を矯正しようという態度こそどうかしているということだ。

 突いて楽しむのは……若いということで。