小考 | Study Hard

小考

 僕が数学科に行った理由なんて有りはしない、とpgρが僕の代わりに答えていた。
 なるほど、その通りかもしれない。それでは僕はどのような理由もなく数学科に行ったのだろうか。

 まず周りの人たちがどのような理由をつけて各学科に進学して行ったかを思い出してみる。文1、2や理3のようなエスカレーター科類はとりあえず放っておくとして、まず最も良く聞いた理由が「興味が向いたから」だったように思う。次に「就職」、他には底抜けだからとか家業に関連してという人たちも少々居たような気がする。

 僕の両親はともに会計士だから、それを数学科に行く理由には出来そうも無いし、何より個人の資格は家業ではない。顧客を継承するのは出来るのかもしれないが。
 数学科は普段は底抜けの学科ではない。
 数学科は世間のイメージほどは就職の悪い学科ではないが、生憎就職なんて考えていない。少なくとも、何かを見に行く為に就職するということはあっても、就職するために数学科に行ったのではない。
 そして最も重要なところだが、僕の最大の興味は数学ではない。数学には昔から多大な興味があったし、それが無ければ数学科には行かなかっただろうが、興味の方向性がぴったり数学だったということではない。

 自分の人生を振り返ってみて、どうみてもこいつは史学科か宗教学科か経済学部に行くとしか自分でも思えないのだが、結局全部を嫌ってここまで来てしまった。しかももっと驚くことに、「進学が1年早ければ」間違いなく工学部に行っていた。あの糞みたいな総合2単位不足が無ければ、今頃本郷に居たはずだ。

 僕がうわ言のように言う「学問すること」というのは、別に数学でなければ身に付かないものではない。本当の2年生のときは、社会科学にも実験に相当するものが必要だし数学科には実験がないので敬遠しようか、と思っていたのは確かなことだ。それと同じくらい、人の五感で認識し辛いものをどう取り扱うかについては数学をおいて他にはないかもしれないとも思ったりはしていたが。

 どのような適切な理由がないのに数学科に行ってしまったか(そして数学科に行く適切な理由とは何か)という問題は僕にはちょっと解けそうにない。けれども、数学科に一見理由もなく行った理由は説明出来そうだ。

 中学あたりで発狂してしまい人の道を外れていった僕とは違い、正道を歩んだ多くの優秀なる学友諸兄が次々と「折れて行く」さまを見て(本人たちは否定するだろうが)、無理に自分の進んで行く道を正当化すまいと思っていたように記憶している。そして多くの聡明な学友諸兄が如何ともし難く「潰れて行く」さまを見て(本人たちはそれを否定する立派な小理屈を考えついているだろうが)、何かが違うなと思っていたような、思っていないような。
 学問は「役に立つ」必要がある、という一見もっともな主張が愚にもつかない人物を生むだけと思っている(おそらくは幸福を論ずるのと同様の誤りを犯していると考えている)。「大学は学問をする場所だ」というまったくもって本当としか言いようの無い主張をすること自体が、逆説的に学問的成果を阻害するような気がしている。「私の能力がこの方向にあると気付きました」「好きなことをやるだけですよ」という主張は学問に至る保証がないと思っているし、このような言い訳は見苦しいと思っている。同時に学問は高級な遊びだという言説を支持している。さらに同時に遊びと仕事を分けるのは無意味だと思っている。
 どのようにして学問を構築するかを学ぶ事は出来ても、そのようにすべきだと考える部分は宗教に属すると考えている。あまりにも多くの学問的課題が目の前に山積しているのに、多くの人はどうしてそれを無視するのか理解に苦しんでおり、そのように理解に苦しむことが酷い妄想に駆られている証拠ではないかと恐れている。そこに課題があったと「後で」理解することが出来る一方で、前もって理解することが不可能なものがあると考えている。なるほど、そして作業仮説を嫌っている。

 なるほど、こうすると一見理由もないけれども数学科に行くことは大いに有り得る。しかし、これを僕の個人的体験から切り離して説明することが出来ないではないか。
 上の文章を僕が読むと数学科に行った意味や「史学科、宗教学科、経済学部を嫌った」理由が鮮明に分かるのだけれども、僕以外が読むと多分意味不明を通り越しているはずだ。とすればpgρが僕が数学科に行った理由がないと言うのも当然だよな。

【追伸】
 なるほど、全体を読み返してみると、事情を知らない人には僕が史学や宗教学や経済学を嫌っているようにも読める。しかしこれを読んで、僕がそれらを嫌っていると思った時点で既に内容を読み間違えてるわけだ。
 僕は史学ではなく学科、経済学ではなく学部、であることを嫌っているんだね。そう書いてもやっぱり説明になってないな。
 もし僕が幸運にも軍事学の構築に参加出来るとすれば、その時は必ず経済学を通って構築するはず。例えば「人が何故一命を賭して軍事システムの一部に参加するのかまでは分からないし、軍事学が考えることではない」と書いた時には「人が何故一命を賭してまでそのサンドイッチを買いに行こうとするのかまでは分からないし、経済学の考えることではない」というやつのパロディーだな。
 お、上の行の文章読むと、僕がなぜ人間関係の部分を極度に嫌うのかが分かるね。うーん。