最近の思い出はイカスミ色になるのか | Study Hard

最近の思い出はイカスミ色になるのか

 ふと、懐かしくなって香田証生でググってみた。
 ちょっと甘酸っぱい気持ちになった後、切なさが込み上げて来た。

 お前ら揃いも揃って言いっ放しだな。

 あまり批判的なことを言うのも詰らないから、ちょっと何が切ないのかを考えてみよう。
 仮に人命最優先という原則を立ててみよう。そうするとイラクで1名死亡よりも、同時期にあった新潟の地震の方が重大なのは明らかである。
 地震よりもイラクでの事件の方が重大だという結論を導くために必要な原理は何だろうか。思うに、地震は自然災害でしょうがないが、人質死亡は人災であり、人間が引き起こした事は看過出来ないという考えが必要だろう。つまり人間のやることはすべて制御し得るという前提が込められた原理が必要になりそうだ。

 結局いつもの話題(このブログで話したかは覚えてないが)に戻ってくる。
 多くの平和主義者(と私が認定している)の原理と同じである。戦争は人間が起こすものであり、人間が起こすものは完全に制御出来る、だから戦争は完全に抑制出来る、という感じのあの(と言ってもピンと来ないだろう)話である。
 「汝ら、髪の毛一本たりとも黒くする事も白くする事も能わないではないか」というアレではないが、人間なんだから人間のことは何でも分かっていて、何でも制御出来ると思う人がそんなに居るのだろうか。生命と非生命の連続性に思いを馳せるとき、生命だから制御出来て非生命だから制御出来ないという考えはどこか陳腐さを拭いきれない。

 たかが人質事件程度のことで小難しいことを言う必要もないが、きっと切なさの正体はこれだろうと思った。善良さをアピールする格好の題材と思って飛びついたのだろうが、やったことは自らのレベルの低さを露呈したことだけだったと。
 そして書いてみて気付く。これ良くあることじゃん、と。普段ならこんなことで切なくなったりはしない、と。だから結局何が切なかったのかは分からない。少なくとも人命を惜しんで切なくなった訳ではないことだけが確かだ。

 何よりこれはググった先のページが(中身を見ていないから確かではないが)証明してくれるだろう。彼らのサイトの過去ログを読んで、もしイラクで日本人ジャーナリストが殺害されたという記事があったら脱帽だ。あったとしても人質死亡事件と同じようなコメントは見られないだろう。
 ジャーナリストなら仕方ないが市井の人は駄目、なんていう論拠からはあんなコメントたちは出てこないはずだ。だからジャーナリストは死ぬリスクを負っているので仕方ないから一般人に対する話を適用できないなどと考えているとは思えない。結局、彼らもまた人命最優先主義者ではないのだ。

 人間を全知全能で人間に都合の良い存在として扱うことはまったく耐え難い。人間(の万能性)を無条件に信頼するのはまったく耐え難い。人間に神学的意味においての理性を仮定することはまったく耐え難い。
 きっと何度も何度も平和主義者のみならず多くの人から聞いた「特殊な宗教」、すなわち「人間を宇宙最高の存在のごとく扱うこと」、が性懲りもなくまた眼前に姿を現した事に、呆れるより前に切なくなったのではないか。そう思った。

 そして私はまた平和主義者から学んだ技法を用いた。
 それは結論を前提とせよ、ということだ。事実、上の段落はそれまでの話とあまり内容が繋がっていない。さらにこう書いてみたところで、またまたふと思った。
 今まで触れて来たあまりにも多くの「文学的作品」の正体はこれではないだろうか。内容が(批判的な意味において)文学的であるとは結論の飛躍、すなわち結論の前提化、であると。