著:佐々木閑「ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか」を読みました。
数年前から仏教という物に興味を持ってまして、最近「原始仏教」なる言葉を覚え仏教の本を何か読んでみようと思ってたとこに発見した本です。
「維摩経」というものに興味があり、そっちの本を先に読んでたんですが、後から読んだ先にこっちの方を読了してしまいました。
だって「維摩経」の本読みにくいんだもの!
うふ。
それは置いといて、この本を読んで感じたのは、、、「引きこもってる人よ、これ読んでみてよ」って。
常に僕の中には引きこもりやニート、不登校、生きづらい世の中ってのがあるので、何かを読んだりしたら引きこもり問題と掛け合わせてしまうのですが、、、
簡単に言うと、仏教の始まりはもともと生きるのが苦しい「己を救うため」に始まったことみたいなんですよね、この本に書いてあることが真実であれば。
「一切皆苦」
生きるのは苦しいこと。
どうやったらこの苦しみから解放されるのでしょう。
苦しみから解放されるには己を律し執着する心を無くせ。ってとこでしょうか。
この状況、引きこもりに似てないですか?
生きるのが苦しいから、出家する。
出家とは、山ごもりしたり、世捨て人になることではないみたいなんだけど、まぁ、そこは置いといて、生きるのが苦しくて引きこもっちゃうなら、いろんな事とことん考えて考えて考え抜いて、自分が楽になる方法を探ってみたらどうかなぁって思うの。
宗教って言うと他者を救ってなんぼ!みたいなのあるけど、仏教のもともとの起源はそーじゃないみたいなんだよね。
あくまでも誰でもない「己を救うため」。
己を救う事によって初めて他者をも救えるようになると。
そもそも、他者を救う事すら最初は考えられていなかったみたいなんだけどね。
普段から僕は思うのですが、僕の周りには己を削って頑張る人がいっぱいいます。
それはとっても素敵で応援したい事なんだけど、だけど、大事な人には、やっぱちゃんと休息をとってほしいよね。
だからいつも僕は言うんです。
頑張れる時は頑張ればいい。
頑張れない時は素直に休めばいい。
元気になれば、また目の前の元気の無い人をフォローすればいい。
目の前の人が、また目の前の人をフォローし合う。
そんな連鎖が生まれたら、もしかしたら世界は少し幸せに近づけるのかもね!
持ちつ持たれつなんだから、疲れた時は疲れたでいいじゃんって思います。
休んで元気になったら、その分誰かを休息できるようにしたらいい。
まぁ、なんですか、、、
数年前から仏のような人間になりたいと思って生きてるわけですが、、、
なかなかダメね(笑
自分の器ちっさいわ(笑
怒ることは少なくなったけど、やっぱたまにはイライラもするし、へこたれるし、嫉妬もヤキモチも焼くし、ああぁ、俺っていつまでも人間なんだなぁ(-.-)y-.", o O
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