現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ -9ページ目

現代アート作家・ヤマオタケシ(TakeshiYamao)ブログ

「Stand UP!Monster!!人生を変えちゃうアートを!!!愛のバクダン!!!!もっとたくさん!!!!!落っことすゼ!!!!!!」

著:黒澤いづみ「人間に向いてない」を読みました。


久しぶりの読書感想だから何から書こうか。

とりあえず本のストーリーは気になる方は調べてください。


母と息子、親子、家族の絆(絆って言葉嫌いだけど)という部分に限定して感想と言うより本の内容から持論を展開して書いていく。


ざっくり話を説明すると、引きこもりやニートと呼ばれる若者が異形になってしまう病気の話。

異形になってしまえば社会的に死亡扱いで変貌した我が子をどうしようが罪には問われない。


で、まぁ、読み始めた時は「引きこもり相手にそんな対応してっから、引きこもりにもなるし、悪循環やねん」っと元引きこもりの俺はそう思って読み進めてたわけさ。


でも、異形となった我が子を最初は生理的に受け入れ難い醜い虫のような異形になって自分じゃ何も出来ない息子を母親(主人公)が世話していく中で親として成長していく側面も見て取れる作品でもあるのね。


もともと、主軸の話の家庭では亭主関白気味で、母親は息子が成長する過程に先回りしてアレやコレやとレールを引いて愛情と道標を示してきたつもりになって、良かれと思って子育てをしてきた家庭。

自分の理想を押し付け子供の意思とは無関係に。


それで上手くいく子供もいれば、親の期待に重荷を感じ挫折し引きこもりになる場合もそりゃあるよね。

親への抵抗・反抗が非行に走る場合もあれば、言葉なき反抗として引きこもりになる場合もある。


ほんでもって、親が引いたレールから、親が期待した道から逸れ引きこもりになった子は親に疎まれ小言言われさらに悪化する。

そう言う意味では前半の話は、母親は息子を見放す旦那に愛想が減っていくが夫婦共に共通する部分があるのが悲しいところ。


まぁ、でも、異形になると言う病気に息子が罹患してから、その途中から母親は同じ病気を持つ人と関わり自分の母親とも関わり、少しづつ自分の子育てを見つめ直していって、母親として自立していくんだけど、この家庭の父親はダメね。息子はもう死んだと山奥に捨てさへしちゃうんだから。

そんな場合、もうあんたは関わるなっと言っても良いくらいなんだけど専業主婦ってとこが引っかかるのか、大黒柱である旦那には愚痴や反論は言えても最初は離婚まで突きつけられないよね。


これも母親として1人の人間として自立の道標に気づいた時に旦那に離婚を突きつけられるのだが。


結局は夫婦ってお互いに大人として自立しつつ、お互いがお互いの役割を何か凸凹を埋め合うように家庭というひとつのコミュニティを形成出来てたら最良なんだけど、世の中そう賢い人達ばかりでもないのが現実ですよね。。。


その中で子供は親をよく見てるし感じる力も強いから、母親と父親の関係性が歪であれば、それはやっぱり子供の成長にも影響してくるし、そりゃ何かしらの反抗や反発もしたくなる。


感想と持論を展開した物を書く時には、もうね本筋とは全然関係ないこと書いてる、俺。


まぁ、いいや。


本筋を辿って普通に感想を書けば、この小説の表現は奇妙で若干ホラーでと、なんならカフカの「変身」と交えて感想書く人も居そうだけど、昔から読書感想文は苦手アンド書き方が分かんないから、大体が感想と言うより、登場人物たちの生活に対する持論になる。


まぁ、いいや。


本の終盤にもなると、異形となった息子目線の描写もあるのだけど、個人的にはこの最後の数ページ数十ページが1番心にガツンと来る。


読書感想文終わり。


ここからは個人的なお話書く。

上に「最後の数ページ数十ページが1番心にガツンと来る。」っと描いたけど、今年から適切な親性(子供個々人によって適切は変わる)に憧れ嫉妬し般若になった男の子を描いてるんだけど、甘えだろうがなんだろうが子供にとって必要な親の勝手な愛情や対応に対しての気持ちがすごく分かるのよね。


私はもう大人だから、そんな事今更言ってらんないし、むしろ冷静に推論を立ててるからこそ、般若になった少年を描いてるのだが。


って言うか、この本を最初読み始めた時に、端的に言えばこんな親はダメだ。そりゃ子供の引きこもりに拍車かかるわ。っとか偉そうな事考えてたけど、私、子供には中学までにある程度生活を全部1人で出来るように(例えば腹が減ったら自分で飯作るとか大人になっても困らん程度のことだけど)と思ってて、まだ3歳の子供に厳しい部分もあるので、元引きこもりの俺としては、子供が引きこもりになったらちゃんと対応できるだろうか少し悩んでた。


引きこもりの経験ある人なら分かると思うんだけど将来とか自立とか甘えとか煩いくらいに言われるのよね周りから。だから厳しさと優しさの度合いがイマイチ分からん部分があるのも事実。


まぁ、あくまでも子供主体と言うか、子供の意思を尊重して接してるけど、甘えさす部分と注意する部分って、結局は状況で変わるから難しいなぁっと思って日々生活してる。


なんやこれ?


途中で感想文終わり!って記載したけど、もはや日記やん。


俺も人間に向いてない。


まぁ、いいや。


「HA・N・NYA〜自立への一歩〜」

Oil on canvas

M3(273×160)

2024.07


もう要らないよ


そんなの今更


僕に必要だったモノはそれじゃないの


もう自分で決めたんだよ


鬼になって全部破壊してやるって


そして羊水に塗れた世界から抜け出すんだ


誰かが悪かったわけじゃない


何かが間違ってた訳でもない


ただ僕とあなた達の愛情が合わなかっただけ


ただそれだけ


もう気にしないで


僕は僕の道を歩いていくだけだから


「HA・N・NYA〜渇望〜」

Acrylic gouache on canvas

F3(273×220mm)

2024.06


適切な親性への憧れ


そして渇望


思春期と呼ばれる年代の僕は


もう親の都合も立場も置かれた状況も理解できる


だから何も言わない求めない


ただ時々、無性に求めてしまうんだ


世の中は思春期のガキに甘えるなって自立を促すけど


そうじゃないんだよ


別に今更、赤子のように乳を求めるわけでもあるまいし


自分の存在を言葉で態度で認めてほしいんだよ


少なくとも僕はそれで人間として真っ当に生きれたと思う


「でも」「だけど」って言ってたらキリがないけどね


だから僕は渇望する親性への嫉妬から鬼になっちゃった事は後悔してないよ


僕はもう人間じゃない


鬼として生きていく


衝動的な強い渇望感を抱えて生きていく


「NA・MA・NA・RI〜望み散る〜」

Acrylic gouache on canvas

SM(227×158mm)

2024.06


ほしいほしいほしい


あなたがほしい


ずっとそう望んで生きてきた


周りには愛が溢れ


僕は比較的恵まれてたと思うよ


けどね


決定的に足りなかったモノが一つあるんだ


あなた達の愛情が


親への憧れ


何も悪かったとか足りなかった


誰かが悪かったとか言いたいわけじゃないんだ


ただもう少し僕を認めて話を聞いてほしかっただけ


もう望みは散ったけどね


僕はもう人間じゃなくなったから


「NA・MA・NA・RI〜祈り〜」

Acrylic gouache on canvas

SM(227×158mm)

2024.06.24


僕に親をください


僕を認めてくれる親をください


僕にはちゃんとした親がいます


当たり前だよね


親がいないと僕は今を生きていない


けど僕の心には親は不在なんだ


人間だった頃は泣いたり笑ったりワガママを言って困らせたり


そんな日々だったと思う


でもいつの間に僕は成長して


赤子が乳を求めるのとはまた違う欲求があったんだ


親を求め


泣き叫び


無茶苦茶な事をやって


僕はもう疲れた


1人で生きてく強さが欲しくて


鬼に成り下がり


ただただ己が道を自立していく戦いに身を投じるばかり


僕に力をください


もう親なんて必要ない


自分勝手に振る舞う親の愛情なんて僕には毒でしかない


神様


どうか僕に1人で生きる力をください。