「ステートメント」
1984年奈良県生まれ。
ヤマオタケシ
小学生の頃にパニック発作を起こし不登校になり、そこから学校に行けなくなり、当時まだ日本では学校へ通うのが当たり前だったので、学校へ行けない事への罪悪感や周りからの心無い言葉に苦しみ、14歳で引きこもりになり、摂食障害、鬱、パニックの辛さやしんどさから現実逃避をするように絵を描き始めました。
最初は好きな漫画の模写ばかり描いていて、10代の後半にテレビで奈良美智・村上隆の特集を観て、現代アートという世界を知り、そこからアートの世界へ歩き出しました。
僕は自分自身のために描いている。
鬱やパニック障害でなかなか普通に働けない。いい歳した男がまともに働いてもいない。これは僕個人の被害妄想かもしれないが、社会からの軽蔑や冷たい眼差しを感じ、そんなマイノリティな苦しさや辛さから逃げるように、ある種の開き直りでもありますが、時にマイノリティで何が悪い!っという問題提起を作品に込めて描いています。
っと言っても何も自分勝手な自己満足のためだけじゃない。
世の中を良くしたい。
もっと具体的に言えば、僕自身がアートに救われてきたように、僕の作品が誰かの救いになればと想い作品を描き続けている。
僕自身も含め、誰もが持ち合わせてる社会のルールに否定されるマイノリティな部分を肯定し、自分さへ良ければいいという「自分勝手」なモノまでを肯定してるわけじゃなく、誰かに何かに見返りを求める「自分勝手」ではなく、自分が誰かのために何かしたい、自分が世の中のために何かやりたい、常に自分の中に選択肢があって、それを自分が決めているという事に気付くこと。
ひいてはそんな良い意味での「自己中心」から生まれる幸せな「愛の連鎖」が生まれたらなっと想いを込めて描いています。
それを僕は「自己中心世界」という言葉を使っているんですが、自分が良いと思った行動を取っても、それが他者にとって迷惑な事だったりもする。それでも愚痴をこぼさず、誰のせいにもしないで「自分がYES・NOを選択し行動した」と納得し次の一歩を動き出せるように、せめて僕の絵を気に入ってくれた人達がそんな風に前向きに生ていけるように、「くろこちゃん」というキャラクターに、そんな人達の誰にも言えない苦しみや辛さを受け入れ、チープな言葉ではありますが、癒しや、元気になれるような作品であればいいなと。
ただただ目の前の愛する人たちを全力で愛す。
その目の前の人が、また目の前の人たちを全力で愛する。
そんな素敵な「愛の連鎖」が起これば世の中がもっと幸せな方向へ向かうんじゃないかと想い、そんな想いを「くろこちゃん」というキャラクターに込め作品を作り続けています。
「なぜ今の作風なのか?」
ずっと自分の等身大でもあり自画像的な立ち位置あった「少年」に10代20代の世の中に対する憤りをぶつけて描いていました。
その少年を描いている時に、たまに登場する真っ黒い生物。まだ名前も無いその時は、題材である殴られても傷付いても虚勢を張ってでも一点だけを睨み続ける少年達の、時には見守り、時には救い、時には同じように怒り、そんな名も無き真っ黒い生物を、「このキャラクターだけで描いてみたら?」っというギャラリーの方の声から生まれた今、「くろこちゃん」と名前をつけ、憤りを撒き散らす表現だけじゃなく、描かれていた少年達も、僕が年を重ねるにつれ大人になっていき、お世話役の真っ黒い生物も大人になった少年達に「もう僕たちの役目は終わったな。」と今の世の中で苦しんでいる人達を救うために「くろこちゃん」として世に生まれてきました。
そのために、シンプルで分かりやすい見た目の方が鑑賞者にとって目に付きやすいのかな、感情移入しやすのかなっと思い、余計なものを削いでいって、見た目だけで言うとただただ真っ黒いキャラクター「くろこちゃん」を今は描いています。
僕が描くテーマ性が重いため、そのままだと作品自体も暗く重たくなってしまうので、お花や空、雲などなど、カラフルな色使いをするようになりました。
まず見た目のキャッチャーさから老若男女問わずどんな年代の人の目にも触れやすいように、そこから、作品のテーマやコンセプト、僕が伝えたい事を知っていただければと想い、今の作風があります。
「love yourself」シリーズについて
まずは自分を愛す。
自分を大切にする。
その先に本当の愛を知るであろう。
日本人は日本という島国特有の文化なのか自分という個よりも集団ありきの個だと認識する。なので、自分という「個」よりも集団の和を重んじる。
今の時代、日本以外の文化や文明、思想、などなど国外のいろんな情報が日本に入ってくる。日本の文化が好きだと観光や勉強、仕事のために国外からたくさんの人が日本にやってくる。
そうなってくると、集団の和を重んじる日本人の性質も自然と変容してくる。
変に勘違いして、自分が1番だと「わがまま」を「自分を愛する」事だと思う奴も出てくる。
だけども、もっと小さく、市町村、日本人のありふれた日常の中にはまだまだ「集団の和」というものが存在し、自分の事よりも集団の和を重んじて何も言えなくなって死んでいく人の多い事多い事。
集団の和に負け、自分を出せぬままもがき苦しみ死んでいく人がいる一方で、日本の村社会とは全体の和だけではなく、縦社会でもある。
トップの人間が白を黒だと言えば逆らう人間はいない。逆らえば村八分にされる危険性があるからだ。
そこで、僕は「自分を愛する」という事を考えたい。
僕自身、日本人で、個人的な想いとしてはまずは自分を大切にしたい。っと思いつつ、集団の和を感じ、周りの空気を読み取り、自分を隠してしまう事もある。
それは、やっぱり、村八分を恐れている自分がいるからだ。
そこで自分自身にも問いたい。
自分を愛する事を。
自分を大切にする事を。
いろんな人たちに出会い、思考を巡らせ、想いを描く中で僕自身も「自分を愛するとは何か?」を模索していきたい。
「LIFE」シリーズについて
よくあるシンプルなタイトルですが、「生きる」「生命」そんな物を絵にしたいなと思い、いろいろ考えを巡らせながら描いています。
野生の動物は死ぬまで必死に生きようとする。
肉食動物に襲われた草食動物はハラワタをさらけ出しても死ぬまで逃げようともがく。
肉食動物も獲物を狩るのに失敗し、後ろ足で蹴られ顎が砕けて何も食べられなくなっても、水飲み場でペロペロと喉を潤し死ぬまで生きようとする。
そんな動物の姿を見て、何かあればすぐ「死にてぇ」と呟く自分自身の滑稽さが情けなくて、「生きる」と言うことを考えてみようかと思い、絵のコンセプトに持ってきました。
僕自身まだ結論は出ていませんが、今の世の中「死」と言うものが何か特別なもののようになってますが、「死」とは本来、生きてる上で欠かせないもので、表裏一体なもので、「生きる」上でものすごく大切なもので、なので、「生と死」ってものすごくシンプルで自然なものだと思い、それを表現していきたいなという想いです。
どんな人にもいつ来るか分からない「死期」まで人は生きる。
だからって、気張って生きようってことでもなくて、けっこう多くの人がこの医療の発達した世の中で、いろいろ便利に安全になった世の中で、「死」というものを、特に若ければ若いほど「死」というものを理解しないで生きている。そんな印象があります。
なので、「死」は特別なものじゃないんだと、生きる上で必ず後ろにあるものだと気付いて欲しいなっと「LIFE」いう絵を描き始めました。
「明日死んでもいいように生きよう」
これは決してポジティブな熱いメッセージじゃなく、常に死を意識して、無駄に荷物を背負い込まないで、自分の手で持てるだけのモノを持って生きて行こうよ。っというような意味合いで発しています。
情報や物が溢れる現代で自分にとって必要の無い物が多い。
そう感じる今日この頃です。