「l am...」シリーズについて
自意識。
表層意識、深層意識、無意識、っと沈んでゆき、時に吐き出し、時には弾け、時には己が溶けてだし、いろんな意識が混ざり合い、自分の中で自分を探す旅に出る。人間が人間たらしめる姿、美しさ、醜さ、可愛さ、哀しさなど、それを具像と抽象を混ぜて表現できたらなと思っています。
その先に、自分を見つけ、自分の役割りに気付き、大切な事に気付き、個々人それぞれがそれぞれの幸せを築き、その幸せが誰かの幸せになり、その誰かの幸せがまた他の誰かの幸せになりっと幸せの連鎖が「愛の連鎖」が起こり、誰にでも優しい世界になればなという想いです。
自分は何者か?あなたは何者ですか?と問うように「 l am... 」っと言うコンセプトを絵の主題にもってきました。
表層意識、深層意識、無意識、っと沈み込んでゆく。
物質に情報、人情だとか、義理とか、凝り固まった変な正義感など、有象無象問わずいろんなモノが世の中に溢れかえって、そんなモノ達に追い追われ、本当に大切な事を、自分自身を、忙しさから忘れてる人達が多いと見受けられる昨今。
一度立ち止まって、全てを遮断し、自分自身に深く潜り込み、自分の求めるモノ、自分の役割、人としての在り方、本当に大切なモノを無意識から意識まで引っ張り上げ、意識する。認識する。確認する事で、漠然とした不安や恐怖、辛さといったマイナスな感覚が少なくなり、誰かが引いたレールの上じゃなく、自分で選べるレールを、自分が作っていくレールを、歩いていけるんじゃないのかなと、それを作品で訴えたいなという想いです。
愛とはなんぞや?っと知りたくて読んでみた。
ちなみに、長くなりますよ(。・ω・。)
1番最初プロローグ読んだ時のツイッターに書いたのはこんな感じ。
「気まぐれで購入。プロローグだけ読んだ感想。
まず、不安無く、幸せになりたい。っと思ってる人が、この本を読めば幸せになる?
俺が思ってる「愛」とは下心の無いことだけど、そもそも幸せになりたいとかっていう下心あったら一生、自己啓発本読む羽目になるんじゃねーか?
この疑問が覆るのか楽しみ」
プロローグから、だいぶ怪しい臭いがしてました。
プロローグだけ読んだら、著者はマジで変な人。
本自体も新たな経済学と銘打ってるだけあって何かにつけてお金の話を持ち出す。
正直なところ、今のお金に翻弄されてる僕には「お金」の話を聞くのも見るのも考えるのもしんどい。
だけど、的を得てる言葉もあって、お金に対する考え方をはすぐには変わらんだろうが、学べる部分はある。
先入観や固定概念があるからだろうね、どんな本でもそうだけど「これをやれば絶対大丈夫。良くなる」って書かれてても、懐疑心が生まれる。
ツールとしてのお金で、お金の使い方によって、相手の本気度、自分自身の本気度が分かる。っとこの著者は言っていて、だったら、俺は海外に絵を出し続けたい、だけども、もう貯金も底を尽きる。
そこで何をするべきか。土下座してでもカンパを募るとか、絵はなんとか描けてるから売る手段を考えるとか、今、バイトできない状態の中でもお金を集める手段は無いものかと考えるべきか?っと考える。
お世話になってるギャラリーの社長が言っていた言葉今でも覚えてて、自分の小遣いなら1万くれるって言われても頭下げないけど、会社のためなら、社員を食わしていかなきゃだし、そのためなら千円くれるってなら土下座でもなんでもすると。頭を下げないのがプライドじゃなくて、夢のため、目標のために、頭を下げれるのがプライドだと。
最初、この本を読み進めていくうちに、愛だなんだと語りながら結局「金」じゃんっと思ったけども、最初にもはっきり「愛=お金」っと断言してたしな。
本を書く、っというか、人に何かを伝える時、ある程度、細かい事情なんか差し置いて断定して話をしていかなきゃ、話が横道にそれるのも分かるから、屁理屈こねて突っ込みたいとこはあれど、ある程度、断定していかなきゃ話がまとまらなくなるので、それは仕方ないのかなぁっとも思いつつ読み進める。
でも、書いてある内容は表面はほかの自己啓発本と大体同じ。
言葉巧みに、こうすればお金は回るよっとか、自分に入ってくるよっとか、お金をいっぱいあるから幸せなんじゃなくて、自分に必要なだけのお金があればいい。使い方次第で幸せになれるっと。
自己啓発本なんて、大体同じこと書いてるし、ポジティブ過ぎて大嫌いなんだけど、この本の真髄は「愛」にあるので、そしてずっと考えてる「自愛」のことも書いてるので「自分を愛するってどういうことだろう?」「自分を愛するにはどうすればいいんだろう?」っと考えるにはいいのかもしれない。
この本では「親切」という言葉を「親を切る」っという意味合いでも説明している。
これに関しては大賛成っというか、いつも思うのが、みんな親に縛られてる。
社会人になって自立してても、親という存在は大きいものだ。
親は大切にしなきゃっという気持ちは分かる。
もともと、親に言われたからとか、自立できてない時は親と学校だけの世界で生きてるから仕方ない部分もあるのだけど、例えば「親に言われたからこうしなきゃいけない」「先生に怒られるからこうしなきゃいけない」っと、実はそこには「自分で親・先生の言うことを聞く聞かないをYESかNOか選択できるのよ」。ある意味洗脳されてるから気づかないだけで「親の言うことを聞くっと自分が選択してるんだよ」
っと考えると、社会人になって自立して、結婚相手、就職先、生き方、諸々、自分で選択できるんだよ。そういう意味で、親を切ることは大事。
親は先に死ぬんだから、自分で自分の居場所を作っていかなきゃ、親が死んだらどうするの?
若いうちに親を切ることで、自分の世界を作り、親が年老いてきたら、親孝行すればいいじゃん。自分の世界が無いのに、ずっと親という呪縛に縛られてたら、共倒れするわさ。っと常々考えてる。
「親切という、親を切る」という事を詳しく書いてる部分は立ち読みでもなんでも読む価値あると思う。
読んだ感じ、いかに今まで学校、会社と真っ当な道を歩んできて植え付けられたルール解き放てるか。
誰かのせいにするんじゃなくて、自分でYES・NO決めて行動していけるか。
俺自身、自由人気取ってても、やっぱ「お金」という問題浮上してきて、今の経済システムにヤられてるので、視点が狭くなってるので、この本読んで「???」っと思う部分は多々あるけど、本の流れはよくある自己啓発本だけど、核心ついた言葉も出てくるので、暇つぶし程度に読むにはちょうどいい。
所々、お金を使うこと、企業のあり方、経済、税金のことなどなど、、、ダメな部分を指摘したり、社会でお金を循環させる方法なども書いてるが、そうだよなぁっと思う部分が思う所あるが、まぁ、俺、今は使う金もねぇーから、なんでもいいや。
お金とも絡んでるいるが、介護問題などのお話もちらっと書いていて、介護される側の人間の事をよく書いてらっしゃるという印象。
冷たい印象を受ける人もいると思うが、俺は、どの問題に関してもこの著者の冷静な見方を冷たいとは思わない。
著者の人間性知らんからなんとも言えないけど、表面だけかっさらって冷たいだの温かいだの、話してる真意が分からない状態で相手を自分の価値観で善悪決めるのはおかしい。
時々、自分自身のツイッター(愚痴用)でぶつくさ言ってるんだけど、例えば大きな地震がありました、凶悪な事件がありました。ニュースになりました。そこを表面だけかっさらって、事情も、本心も何も知らずに勝手に狂信的な正義を振りかざしてる人が多い。
で、メディアが取り上げなくなった頃、みんなもうその事忘れてるでしょ?
今、福島県がどうなってるか、原発がどうなってるか、知ってる人いる?
ついこの間、ヤバイぞヤバイぞって言ってた大阪北部の大きな地震をその地域以外の人で覚えてる人いる?
言われなきゃ忘れてるでしょ?
みんな表面だけみて、好き勝手言って、本質を忘れてる。本質を見てない。根本を考えてない。
まぁ、日常を生きてて一つ一つ気にしてたら気が病むけどな。
この本で俺が学んだこと。
俺には「自愛」が無い。
それを考えると、そもそも「自愛」と言うものが分からない。自分を愛するにはどうすればいいか分からない。(この本には自分を愛する方法は書いてます)
絵で「自分を愛する」というコンセプトで、描きながら、考え続けてきたけど、未だに分からん。。。
この本でいうと、俺自身が俺の価値を低く見てるからだろうな。
ぶっちゃけ、自己啓発本読んだって、自己啓発本読む奴なんて、今の自分をどうにかしたい一方で、今の自分を認めて欲しくて、変わる気なんて無いんだから、その場しのぎの安心感得るだけで、書かれた事も実践しないし、しても続かないし、長い目で見れば無意味なのよね。
三つ子の魂百まで。なかなかそう簡単には変わらん。
本気で変えようと思う奴は別だが、やっぱ本だけじゃ変わらん。
まじ自分自信をフラットな状態にして、痛い目を恐れないで、いろんな人と出会い、いろんな経験して、対話し、体験し、話し、しなきゃ変わらない。
えーっと、この本が、この作者がどうだとか全然関係ないんだけど、巷に溢れるマルチ商法にネズミ講、わけわからんセミナー、新興宗教、、、あのね、たぶん、自己啓発とか人に嫌われる勇気だとか、自分の拠り所を寂しさ故か、孤独感故かハマっちゃう人いるけど、もう俺の絵見て、俺の書くストーリー読んどけよと。
俺の絵もストーリーもネットで見る分にはタダだし。
一つ一つの思いを、グダグダそれなりの説明したらいいんでしょ?
それなら俺も一冊くらい本かけそうだもん。
なんだかんだ言いながら、この本にはドッグイヤーを所々してます(笑